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「リアル放蕩息子放浪記」
リアル放蕩息子放浪記⑥
さて、聖霊のバプテスマを受け、しっかり神様のしるしと不思議を体験はしたものの、まだまだ自分の信仰の足りなさを覚えていた私は、一念発起し、次の就職先に就労するまでの2か月間、自身の信仰をもう一度しっかりとしたものとするために旅に出る事にした。さながら信仰の武者修行である。行く先は沖縄である。決してバカンスではない。 -
「リアル放蕩息子放浪記」
リアル放蕩息子放浪記⑤
2006年のクリスマス、私は救い主キリストを信じて救われた。月曜日の朝、三日間お世話になった教会を出て行く時は、何か憑き物が取れたような実に清々しい、軽やかな心持ちであった。 -
「リアル放蕩息子放浪記」
リアル放蕩息子放浪記④
割と居心地の良かった実家暮らし無職の家事手伝いの日々は終わりを迎えようとしていた。20代最後の歳に転職活動をする事となったのだ。論語に「三十にして立つ・・」とあるが、私はまさにそんな心持であり、多少の不安はあったが何とも言えない高揚感があった。 -
「リアル放蕩息子放浪記」
リアル放蕩息子放浪記③
“苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。” (詩編119篇71節)とある。苦しみには出来るだけ会いたくはない。楽な方がきっと幸せなはずだと思うものではないだろうか。 -
「リアル放蕩息子放浪記」
リアル放蕩息子放浪記②
御言葉に “信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。…とある。私という一人の罪人を何とかして救いへと導くために、一生懸命に福音を伝えてくれた人々のことを今回は分かち合っていきたいと思う。 -
「リアル放蕩息子放浪記」
リアル放蕩息子放浪記①
春は何かと新しい事が否応なしに始まる季節である。期待に胸を膨らませると同時に、少なからず不安も抱きつつこの季節を迎えているのではないだろうか。私がいわゆるユースだった頃を振り返ってみると、そんな気持ちで新しい生活が始まっていったのを思い出す。この執筆が現在進行形でこの期待と不安の真っただ中にあるユース諸君にとって、少しばかりの励ましと反面教師的参考にでもなれば誠に幸いである。
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