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リアル放蕩息子放浪記②

城市 篤
豊川キリスト教会牧師

はじめての福音

リアル放蕩息子放浪記②

 御言葉に “信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」”(ローマ10:14~15)とある。私という一人の罪人を何とかして救いへと導くために、一生懸命に福音を伝えてくれた人々のことを今回は分かち合っていきたいと思う。


大学3年の後期から卒業論文作成のために、各々の研究室に所属しなければならなくなる。私が所属していたのは繁殖学研究室という所であった。本当は遺伝学研究室を希望していたのだが、希望者多数につき教授から「じゃんけんで勝った者12名とする。」とのお達しで選考方法は「じゃんけん」となった。研究室を決めると言うのは学生にとって、その後の将来に関わる中々重大な事だと私は思うのだが、この人生の重大な事が、成績順位とか、レポートの良し悪しとか、教授との面談でもなく、じゃんけんの勝ち負けによって左右されるというのは甚だ納得しがたい事であったが、このような理不尽な事が社会においては時々ある。ともあれ遺伝学研究室を希望する50名以上の学生による壮絶なじゃんけんバトルの末、敗れてしまった私は渋々、繁殖学研究室に入ったのである。今から思うと、じゃんけんに負けたという納得しがたい理不尽な出来事は、違う意味で人生な重大な布石になっていたのであった。

 この同じ研究室に同学年でR君という学生がいた。彼はどうやら、とても熱心なクリスチャンで、後に親友として長い付き合いとなるのだが、それは新しく研究室に入った我々の歓迎会での出来事がきっかけである。みんなお酒も入り宴もたけなわ、R君が突然カラオケ用のマイクを握りしめて研究室の担当教授に向かって演説を始めたのである。その内容はというと、「自分たちは教授の奴隷ではない!もっと自分たちの自主性を重んじて欲しい!」とか、「教授自身が、もっと心を開いて本音で話し合うべきだ!」とか色々言っていたが、仕舞には「神様は、僕のことも、先生のことも、ここにいる全員のことも愛していますよ!」といった信仰的な話もかなりの熱量で語っていた。教授も含めてその場の全員が、彼は酔っているのだろうと思っていたのだが、彼は一滴もお酒を飲んではいなかった。全くのシラフだったのだ。つまり酒の力を借りて、気が大きくなって言ったのではない。後日、本人が言うには「あれは日頃から自分が思っていることで、ただ自分が信じている事を言っただけだ。」と言うのである。この時の彼のメッセージは生涯忘れる事の出来ないメッセージの一つである。ともあれ、この出来事があって後、私は彼と良くつるむようになったのだ。

 それから数か月がたったある日曜日の朝の出来事である。その週は特に予定も、お金も無かったため土曜日からR君のアパートに入り浸り、夜を徹してゲームに興じていた。すっかり夜が明け、二人で朝飯どうする問題を話し合っていた所、R君がおもむろに「朝飯食ったらオレ教会行くけど、お前も一緒に行かね?」と言い出したのだ。一瞬時が止まった。私は頭の中で寝不足気味の頭をフル回転させて何と返答するかを思案した。「教会って何だ。日曜日に教会行くって映画でしか見た事ないぞ。そもそも大丈夫なのか?ヤバい所じゃないのか?高い壺とか買わされるんじゃないのか?」この間、2秒くらいである。その結果「ああ、別にいいよ。ヒマだし。」と最大限に余裕のある感じで返答した。まず、ビビッてると思われるのが何となく嫌だったという事と、数か月間の付き合いながらR君という人物が本当に良い友人であると総合的に判断したからだ。この一瞬の攻防戦の後、私は遂に人生初の教会に行くこととなったのだ。

 恐る恐る参加した初めての日曜礼拝の印象は、私にとって異世界の出来事のようであった。礼拝堂の素朴だが厳粛な雰囲気が漂っていた。集っている人々の雰囲気も不思議なものであった。静かに目をつむり祈っている人や、何事かせっせと作業をしている人、会話を楽しんでいる人もいるのだがその内容がまた不思議なのである。「・・それで、この前イエス様が私の祈りに応えてくださったの!感謝だわ~」という次第である。これには驚き、我が耳を疑った。思わずR君の方を見たのだが、彼は素知らぬ顔をしていた。彼にとって、それは特に驚くようなことではない当たり前の事なのだろう。礼拝が始まり、一同で賛美歌を歌った後、牧師が登壇し聖書のメッセージを語る。礼拝は1時間ほどで終わった。特に何か良いとも悪いともあったわけではなく、拍子抜けするくらい無事に終わった。

「さあ~て、礼拝とやらも終わったし、そろそろ帰ろうかな。」と思っていた矢先、一人のご婦人が「良かったら、昼食をご一緒にどうですか?」と話しかけてきて下さった。私は促されるまま、お言葉に甘えて、昼食を御馳走になることにした。食堂のテーブルには沢山の料理が並べられており、聞けば教会のご婦人方が朝からそれぞれの家々で準備をされていたとのことであった。しかもこれが無料だというのも驚きである。当時、酒とタバコとギャンブルで身も心も懐もズタボロの私にとっては本当にありがたかった。教会の人々は本当に親切で、どこの馬の骨とも知らない、見ず知らずの私にも本当に良くしてくれた事は、25年経った今でもしっかりと覚えている。

 さて、お腹も心も満たされて教会からの帰路に着こうとしたとき。何を思ったのかR君が「城市、もう一軒行かないか?」と言い出したのだ。まさかの教会のハシゴを提案してきたのである。聞けば、ここから少し離れた所に外国からの宣教師がいる教会があり、夕方から礼拝をしているとのことであった。その教会もとても良い教会だから行ってみよう!というのである。この時、私は「どうも、教会と言う所が悪い所では無さそうだし、この際だから、まあ行ってもいいかな。」という軽いノリと好奇心もあり、この提案に乗っかることにしたのだ。

 さて、二軒目の教会は、まさに「The 教会!」と言う感じの教会であった。建物全体が白を基調としたコンクリート作りで、床も大理石っぽい感じだった。礼拝堂の長椅子や講壇などの調度品の一つ一つ見ても、とてつもなくラグジュアリーなのである。そこにパリッとした恰好のシュッとした欧米系宣教師が満面の笑顔で出迎えてくれるのだ。私はというと破れたジーパンにダラっとした恰好であり、何とも場違いな所に来てしまったと若干、気後れしてしまった。あっけにとられ、借りてきた猫のようにおとなしく長椅子に座っていると一人の老紳士が近づいてきた。R君とは顔見知りらしく、「こんばんは○○さん、今日は友達と来たんですよ。・・」などとのん気に話している。次の瞬間、老紳士は私の頭にガッと手を置き、「神様!この若者を憐れんでください!私もかつてはこの若者と同じように罪の中にある者でした。どうか、私と同じようにこの若者をお救いください!・・・」と大声で祈り始めたのだ。これには本当に驚いた。他の人達はどうなのかな~と周囲を見回すと、一同この老紳士の祈りに合わせて祈っている様子であった。私は正直「ヤバい所に来てしまった。」と思った。礼拝自体は、午前中の教会とさほど違いはなく、無事に終了した。礼拝が終わったあと、あの老紳士が「早くイエス様を信じなさいよ!君のために祈っている!」と言って帰って行った。

 その後、宣教師が「一緒に夕食を食べましょう!」と誘ってくれた。つくづく教会の人は親切である。夕食は世界的に有名な某フライドチキンのお店に連れて行って下さった。食事をしながらとりとめのない雑談をしたのだが、宣教師の話す日本語は本当に上手であった。これほどまでに日本語を習得するのは並大抵ではない努力があったのだろうと思う。その事を考えると頭が下がる思いだった。楽しく食事をしたあと、宣教師から「城市さんにどうしても聞いてほしい話がある。」という事で威儀を正して話を聞く事にした。宣教師は、聖書の神様の事、人間の罪の事、そして救い主である神の御子キリストを信じれば罪から救われるという福音について真剣に話してくれたのだ。

 話の最後に「城市さんも、イエス様を信じませんか?」と聞かれた。私は、嘘でも、軽い気持ちでもいいので「はい、はい。信じますよ~。」とでも言えば、この場にいる人々も喜び、全てが丸く収まるのかな?とちょっと思ったりもした。しかし、それは本当に真剣にこの道を信じている人たちに対しては大変に無礼なことであるのだろうと思った。ここまで良くしてくれたのに申し訳ない気持ちではあったのだが、正直に「すみません。私は信じることが出来ません。」という事を言った。宣教師もR君も少しがっかりした様子であったが宣教師から「城市さんのためにお祈りしてもいいですか?」と言われた。「ここでか?」と少し躊躇もあったのだが、祈ってもらう事にした。周囲のお客さんに少し変な目で見られたような気もしたのだが、二人は気にせず祈っていた。私もその日一日で祈ってもらう事に多少慣れたのか、それほど気にはならなかった。むしろ少し「ありがたいことだな」とさえ思えてきたのだから不思議なものである。

この後も、大学卒業するまでに何度かR君に連れられて教会に行ったりもしたのだが、福音を信じ受け入れるという事はなかった。当時の私は聖書の話や福音は、とても良い事だなとは思った。しかし、いざ信じるかと言われるとどうしても信じ切れなかったのである。やがて、大学を卒業し、私もR君も社会の荒波へと出て行く事となった。社会人、特に一年目というのは、それまでの気ままな学生生活とは全く違うものであった。常に苦難と忍耐の連続であり、会社と家とコンビニの三点をグルグル回る忙しい毎日であった。たまの休みは、たまった洗濯と掃除をし、後は寝て過ごすくらいであった。その毎日の忙しさに追われ、目の前の事をこなす事で手一杯であった。そのため、あれほど多くの人が一生懸命に語ってくれた福音も、教会の事も、聖書の事も、神様の事もすっかり忘れてしまい、しばらくの間、思い出すことはなかったのである。しかしこの大学生時代に教会に誘ってくれた友がいたということ、福音を語ってくれた人がいたということは、その後に大きな意味を持つことになった。

次回「放蕩息子の帰郷」に続く

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