第二回
神が無限であるとは
どういうことか?
-基礎篇-
長澤牧人 熊本聖書教会牧師
今回は無限という概念に挑戦しましょう。
アリストテレスは無限を数学的に考えました。1+1+1+1のように数字を無限に足すことは可能です。では本当に無限に足せるかと言えば、現実には無理です。無限に数を足し続けるためには無限の時間が必要だからです。つまり、アリストテレスの考える無限は理屈でのみ考えられる代物です。
さらに言えば、数字を無限に足すと言っても、足している数字は有限な数です。1という数を無限に足せるかもしれませんが、1という数字は有限な数字です。ということは、アリストテレスが言う無限とは、有限な数字を終わりなく繰り返しているだけです。つまり有限がひたすら繰り返されるだけで、中身は有限のままです。しかし真の無限は、有限とはまったく質が違うはずです。
一般的に言えば、無限というのは、制限がないということです。限界がないということです。それに対して有限とは、限りが有る、限界があるということです。つまり自分を制限する他者がいるということです。
無限の反対は有限です。ということは、無限は有限と対立するわけです。無限と有限が相反するからです。すると無限は有限によって制限されることになります。無限には限るものがない、限界がないはずでした。ところが無限には有限という反対物があります。世界は有限と無限に分かれることになります。つまり無限は真の意味では無限でないわけです。
ということは、無限が真の無限になるためには、相反するものを自分の中に取り込んで、自分の一部にすればいい訳です。つまり無限が自分の反対物である有限を包み込んでしまえば、無限がすべてを覆います。無限の反対物はなくなります。無限がすべてになり、まさに無限になるわけです。真の無限とは、有限と対立しない無限です。有限を自分の外に置かない無限です。
真の無限は、有限に宿る無限です。真に無限な存在は、無限であるにも関わらず、有限な存在の中で光り輝きます。有限の中に宿るためには、無限は有限に対立する無限であることを止めなければいけません。かといって、無限を止めて有限になるわけにもいきません。有限に同化しないけど、有限と一つになることによって、無限は有限を包み込む真の無限になります。パウロの言葉を借りれば、「神がすべてにおいてすべてとなられるためです(コリント第一15:28 新共同訳)」。
今日覚えていただきたいのは、「真の無限」の論理です。
①無限と有限は対立する。
②しかし無限と有限が対立したままなら、有限が無限の限界になる。
③そこで無限は有限との対立を解消するため有限を受け入れ包み込む。
こうして無限は真の無限になる。つまり、すべてにおいてすべてとなる。神に当てはめる無限性とは、こういう無限性です。
これがなぜ大事なのかと言えば、キリスト教に特有の論理だからです。神の聖性の教理も、受肉の教理も、聖霊の内在の教理も、終末論も、この論理です。だから神の無限性の論理を理解した人は、神学のコツをつかんだことになります。
次回から聖書を紐解きながら、「聖なる神」を真の無限の論理で探りましょう。
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執筆者紹介
長澤 牧人 ながさわ まきと
Makito Nagasawa
- 熊本聖書教会牧師
- 中央聖書神学校講師
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