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神学の教養(9)

Vol.9
Christmas Special

義の太陽を祝う

-クリスマスの起源-

長澤牧人 熊本聖書教会牧師

 クリスマスといえば、イエスさまのお誕生日です。イエスさまはいつごろ生まれたのでしょうか?ハッキリわかりませんが、おそらく紀元前6年から紀元前4年の間です。なぜこういう推測ができるかというと、マタイによる福音書2章1節によれば、「イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき(新改訳 以下同様)」とあります。ヘロデ王が死んだのは紀元前4年です。つまりイエスさまの誕生は紀元前4年以後ではありえないことがわかります。

 「その後、ヘロデは、博士たちにだまされたことがわかると、非常におこって、人をやって、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させた。その年令は博士たちから突き止めておいた時間から割り出したのである(マタイによる福音書2章16節)」。ヘロデ王はイエスさまを殺そうとして、ベツレヘム周辺の2歳以下の子供を皆殺しにしました。仮にヘロデ王が死の直前に子供を殺したなら、イエスさまの誕生は遅くともその2年前、つまり紀元前6年ということになります。

 初代教会はイエスさまの誕生日に興味がありませんでした。少なくとも3世紀になるまで教会はイエスさまの誕生を祝う素ぶりは見せません。理由の1つは再臨です。誕生日よりも、イエスさまがいつ再臨されるのかに関心がありました。

 エジプトのグノーシス主義者がイエスさまの誕生年と誕生日を突き止めようとしていたという記録が西暦200年に残っています。最初にイエスさまの誕生日に興味を持ったのは、皮肉なことに異端とされるグノーシス主義者でした。当時のエジプトのキリスト者は1月6日に顕現日(エピファニー)を祝っていました。顕現日とは、イエスさまがヨルダン川でバプテスマのヨハネから洗礼を受けた日です。

 ルカによる福音書3章23節には、「教えを始められたとき、イエスはおよそ三十歳で、人々からヨセフの子と思われていた」とあります。ユダヤ人の伝統で「30歳」といえば、ちょうど30歳の時、つまり30歳の誕生日の日と数えていました。「1年」とは満一年に1日も足りず、1日も多くなく、ちょうど1年なのです。そうするとイエスさまが30歳の誕生日の日に洗礼を受けたなら、ここからイエスさまの誕生日も逆算できます。イエスさまが生まれたのは30年前の同じ日ということになります。つまり1月6日です。

 ところがイエスさまの誕生についてもう1つ別の意見がありました。ローマ帝国のカレンダーでは3月25日は春分の日でした。3世紀の教会はイエス・キリストを「義の太陽」と呼んでいました。マラキ書4章2節に、「しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには義の太陽が上り、その翼には癒しがある」と書かれていたからです。昼と夜の長さが等しくなる春分の日こそ、義の太陽の称号を持つイエスさまにふさわしいと教会は考えました。そこで春分の日である3月25日がイエスさまの誕生日の有力候補に挙がりました。

 ちなみに、クリスマスで歌われる讃美歌98番『天には栄』に、「義の太陽」の伝統が脈々と受け継がれているのがわかります。3番の歌詞に、「朝日の如く、輝き昇り、御光をもて、暗きを照らし」とある通りです。

 農業が産業の主流だった古代社会では太陽こそ神でした。東洋でも事情は同じです。中国の歴代の皇帝は日食の日を特定できなかったり、冬至に太陽に供物を捧げなかったりしたら、民衆の反乱が起きたと言われています。だから古代社会では、占星術師が今でいう科学者として宮廷で活躍しました。ちなみにイエスさまに三種の宝を奉納した東方の博士も占星術師でした。

 さて3月25日がクリスマスの有力候補に挙がりましたが、異議もありました。3世紀のアフリカヌスというキリスト者は、「イエスさまが生まれたのは3月25日だが、イエスさまがこの世に来られたのは出産の時ではなくて、マリアが妊娠した時だ」と主張しました。つまり天使ガブリエルがマリアに告知した時です。なるほど神学的には、確かに一理あります。そうだとすると、イエスさまの誕生日は10か月後の12月25日ということになります。

 ローマ帝国は太陽を神格化していました。西暦184年には「無敵の太陽」という名の神殿が太陽に献呈されました。「無敵の太陽」の祝日は、冬至の日、つまり12月25日でした。冬至の日を転換点に昼が短くなるのが止まります。太陽が復活するのです。そしてキリスト教の台頭を恐れた皇帝アウレリアヌスは、西暦274年、無敵の太陽信仰を民衆に広めてキリスト教信仰に対抗しようとしました。

 3世紀の修道僧ノセントはある発言を引用しています。「異教徒は12月25日を無敵の太陽の誕生日だと言う。しかし死を征服した主は、無敵の太陽さえ凌駕したのではないか?我が主こそ義の太陽ではないのか?」。日が長くなる冬至を制するのは誰なのか?異教の無敵の太陽なのか、それとも義の太陽キリストなのか?

そして歴史は動きました。

 西暦336年、ローマの教会はローマ帝国に対抗するかのように、「義の太陽キリストの誕生日は冬至の日、12月25日である」と宣言しました。こうして12月25日がクリスマスになりました。

 確かにイエスさまの誕生日は歴史学的意味では特定されていません。でも冬至の日がクリスマスになったことは深い象徴的意味があります。キリストの誕生と共に冬至の太陽の光は息を吹き返し、もはや闇がこれ以上長くなることはありません。人生も同じです。義の太陽に出会うならば、人生の闇は拡がりません。人生の陽は長くなるばかり、闇は消えるばかりです。

 この世に生きる間は、闇の中の一筋の光としてキリスト者は生きます。しかし、天の都が完成する時は闇は完全に駆逐されます。「都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に来る。都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである(黙示録21章22節~23節)」。今年も義の太陽キリストのお誕生日をお祝いしましょう。


 

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執筆者紹介

長澤 牧人  ながさわ まきと
Makito Nagasawa

  • 熊本聖書教会牧師
  • 中央聖書神学校講師

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