神学の教養(8)

第八回
神が無限であるとは
どういう意味か?

-応用編⑥-

長澤牧人 熊本聖書教会牧師

 「牧会カウンセリング」という用語があります。牧師が会話と傾聴によって信徒をケアすることです。牧会カウンセリングは「個人相談」ではありません。牧師は一個人として信徒の話を聴くわけではなく、一個人としてアドバイスするわけでもありません。牧師はキリストの身体である教会を代表して耳を傾け、教会が受け継いだ神の言葉に基づき助言します。


牧会カウンセリングをするのは牧師だけではありません。

 信徒が信徒に対してしますし、信徒が牧師に対してすることもあります。教会の中で、悩む者を励まし、悲しむ者を慰め、罪を犯した者を赦すとき、牧会カウンセリングが行われています。

「キリスト者は聖霊によって牧会カウンセリングを行います。

 前回のエピソードでお話ししましたが、聖霊は「主体vs客体」の構図を超えます。無限なる神の霊だからです。聖霊が関与することが牧会カウンセリングにどういう意味を持つのか?答えは、牧会カウンセリングは「主体vs客体」の構図を超えるということです。

心療内科に診察に行きますと、「主体vs客体」の構図になります。

 医者が主体の立場に立ち、患者が客体の立場にあります。医師は患者の症状を診断します。患者は医者に観察・分析されます。医師は病名を特定して薬を処方します。患者は薬を処方されます。医者は治す人、患者は治される人です。医者は患者を病人と見ます。患者も自分を病人と見て、医師を治療者と見ます。

 霊的問題を扱う教会は、「医師vs患者」とは違う枠組みを採用します。牧師は医師の立場に立たず、信徒は患者の立場にありません。牧師は治す人ではなく、信徒は治療を受ける患者ではありません。なぜなら牧師が癒すのではなく、聖霊が癒すからです。牧師と信徒の間で牧会カウンセリングがなされる時、牧師に聖霊が宿り、信徒にも聖霊が宿っています。牧師は聖霊によって語り、信徒は聖霊によって聴きます。信徒は聖霊によって悩みを打ち明け、牧師は聖霊によって傾聴します。牧師は一方的に主体ではなく、信徒は一方的に客体ではありません。

 聖霊との関係では、聖霊が主体であり、牧師は客体、信徒も客体です。聖霊を宿す者としては、牧師は信徒に対して主体になることもあれば、聖霊を宿す者として信徒が主体になり、牧師が客体になることもあります。聖霊が牧師と信徒両方を包んでいるので、一方的な「主体vs客体」の構図にならないのです。

 聖霊が牧師と信徒両方を包んでいるとはどういうことかと言うと、牧会カウンセリングにおいて、相談者が励まされた時は、牧師も励まされます。相談者が慰められた時は、牧師も慰められます。相談者が罪を自覚する姿を見て、カウンセラーは自分自身の隠れた罪を意識します。相談者が思い煩いから解放されると、その姿を見てカウンセラーも自分の抱えた思い煩いから解放されます。逆に、カウンセラーが自分の弱さを告白することで、相談者は自分の弱さを告白する勇気を得ます。カウンセラーと相談者の両方に聖霊が働くというのは、こういうことです。

 聖霊による牧会カウンセリングが成立した時は、片方だけが与え手になり、他方だけが受け手になることはないということです。片方に起こることは、他方にも起きます。なぜなら、牧師も信徒も両方が同時に聖霊の力に包まれているからです。

ここから牧会カウンセリングの原則が明らかになります。

「悩みを聞いてあげよう」、「慰めてあげよう」、「励ましてあげよう」、「罪を反省させよう」という態度で臨んではいけないということです。聖霊による牧会カウンセリングにおいては、与え手は聖霊だけですので、カウンセラーも相談者も等しく受け手になります。

自分が一方的に与え手の立場、癒し手の立場、助言者の立場に立とうとするならば聖霊は妨げられます。
 カウンセラーが「自分も罪人である」、「自分も有限な存在である」、「自分も悩める子羊である」という思いで臨む、つまり牧会カウンセリングにおいて、自分も相談者と等しく聖霊の癒しが必要であるという態度がカギです。聖霊がカウンセラーと相談者の両方に働いてこそ、無限者が有限者を包み込む「真の無限」に成ります。

 すると、キリスト者が牧会カウンセリングに必要なのは謙虚さということになります。自分だけが主体になろうとしない、相手だけを客体にしようしない謙虚さです


 イエスさまが12年間長血を患った女性に触れられた時、「だれかがわたしに触れた。わたしから力が出て行ったのを感じたのだ(ルカによる福音書8章46節 新共同訳)」と言いました。女性が癒された時、聖霊の力が自分にも働いたのをイエスさまは感じたのです。そして女性が正直に告白すると、「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。(ルカによる福音書8章48節 同上」と伝えました。イエスさまは自分が癒したとは思っていなかったのです。キリスト教のミニストリーは三角形です。人間2人プラス聖霊で構成する三角形です。一人が救いを求めて他方に手を伸ばし、他方を触媒にして聖霊の力が両者に及ぶのです。

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執筆者紹介

長澤 牧人  ながさわ まきと
Makito Nagasawa

  • 熊本聖書教会牧師
  • 中央聖書神学校講師

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