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神学の教養(12)最終回

最終回

神の国、神の支配

長澤牧人 熊本聖書教会牧師


 福音は2種類あります。1つはイエスさまが伝えた福音です。もう1つはイエスさまについての福音です。2つは福音は密接につながっていますが、それぞれの特徴があります。イエスさまが宣べ伝えた福音は「神の国の福音」です。 

 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた(マルコによる福音書1章14節-15節 新共同訳)。

神の国、つまり神の支配が近づいたと。では神の支配はいつ実現するのか?

イエスさまの答えはこうです。

 ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。 「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』、『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ(ルカによる福音書17章20節-21節)」。

すでに神の支配は地上にやって来ましたが、完全に実現するのは将来です。

 「それらの日には、このような苦難の後、/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める(マルコによる福音書13章」)。

神の支配の実現は人間の努力によりません。神の主権によって、神によってのみ実現します。人間ができることは何もありません。キリスト者は神の支配にふさわしい生き方を教会で続け、神の支配が到来するのを待つだけです。神の国は神が王である国であり、地上の国民国家の支配とは関係がないからです。

 イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる(マルコによる福音書4章26節-27節)」。

 イエスはお答えになった。「わたしの国は、この世には属していない(ヨハネによる福音書18章36節)」。

これが初代教会の信仰でした。教会は少なくとも12世紀まで、政治改革や社会改革に無関心でした。教会が待ち望む神の支配は「この世に属していない」からです。この世で暮らす間は、模範的国民として暮らすのみです。

 すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい。貢を納めるべき人には貢を納め、税を納めるべき人には税を納め、恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬いなさい(ローマの信徒への手紙13章7節)。

初代教会に倣うキリスト者は神にのみ期待し、世俗の政治には期待しません。ローマ帝国であれ、民主主義であれ、自由主義であれ、社会主義であれ、SDGsであれ、ジェンダー平等であれ、人為的努力が神の支配を実現することはないと知っているからです。どんな社会体制であっても、どんな政治状況であっても、キリスト者は信仰を保ち、祈り、感謝して平安の内に生きるのです。

 そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。これは、わたしたちの救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれることです(テモテへの手紙一2章1節-2節)。

 ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです(ヘブライ人への手紙11章16節)。

 神の主権、神の意志と力だけが神の国を実現します。これがペンテコステ運動が奉じる再臨信仰の政治的意味です。ところが神の支配ではなく、国家の人為的支配で平和と自由を実現しようとする野望は後を絶ちません。人の力で平和と自由を実現する試みはしばしば最悪の結果を生みます。理由は、人為的支配で平和と自由を実現しようとする試みは力のある大国が目指す野望であり、力による実現は常に不正義を伴うからです。

 ウクライナ紛争で心が騒ぐときにこそ、イエス・キリストが宣べ伝えた福音に戻りたいと思います。神の国の福音です。神の主権と力だけが、真の平和と自由を実現します。「人の国」の力はどんなに善意であっても、狙いと反対の結果を生んでしまいます。キリストの再臨を待つとは、「神の政治」に対する信仰、そして神の国を実現できるお方に対する信仰を持ち続けるということです。主の祈りを唱える時、神の国の福音を心に刻みましょう。

「御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」。

執筆者紹介

長澤 牧人  ながさわ まきと
Makito Nagasawa

  • 熊本聖書教会牧師
  • 中央聖書神学校講師

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