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『山形での思い出』布施勉師・布施トシ枝師:月刊アッセンブリーNEWS連動

布施  勉 師
布施 トシ枝 師

山形神召キリスト教会

2021年3月31日に引退された先生方による手記です。
この記事は「月刊アッセンブリーNEWS 2021年6月号・引退レポート」
に連動しています。ぜひそちらもご覧ください。

1972年3月

 1972年3月、私たちは、山形市開拓の命を受けて遣わされました。故マックレン宣教師ご夫妻と共に、1カ月間に渡る天幕伝道会を開いて、教会の存在とイエス・キリストの福音を大胆に語り出しました。近所の方々が何事かと来てくださいましたが、求道にまでは至りませんでした。しかし、翌年、配り続けたトラクトを通して女子高校生が来会し、洗礼へと導かれました。山形開拓の最初の実です。彼女は、今、東京の教会で熱心に主に仕えておられます。更に翌年の伝道集会等に導かれた兄姉たちが救われ、今の教会の核となっております。

マクレン宣教師による献児式

49年間の山形での歩み

1975年献堂式

1975年献堂式

 49年間の山形での歩みを振り返ると、教会も目立つような働きはありませんでしたが、地道にゆっくりと歩んでこられたと感じています。大きな恵みは、2001年から、数年に渡って3名の献身者を神学校に送り出せたことです。予期せぬことで驚きましたが、信徒の方々も喜びをもって、献身者支援の祈りとサポートを果たすことが出来ました。現在、献身者のご家族が礼拝に出席されていますが、その内の1人は、リュウマチと戦いならが礼拝に集っています。私たちは、彼女が、痛みに耐えながらも、主の御言葉を待ち望み、とりなし祈っている姿に、カルバリのイエス様の御姿を思わされています。また、礼拝後の信徒の皆様との交わりの中に、深まった神の家族としての絆を噛みしめています。49年間、私たちが伝道者として築き上げられてきたのは、信徒の皆様のお祈りと良きお交わりによってであることを痛感しています。どんな時にも忍耐強く従い、試みの時には犠牲を払って私たちを助けてくださいました。特に思い出されるのが、布施師がくも膜下出血に倒れてからのことです。働き盛りの40代後半のある聖日の朝に倒れ、9時間の手術、53日間の入院生活を強いられました。幸いに後遺症もなく退院出来ましたが、精神的に追い詰められたダメージは大きく、否定的な考えに支配されてしまいました。凡そ7年間、私たちは苦しく切ない所を通されました。その間、教会は祈り続けてくださり、転機が訪れたのが、教職研修会でした。主に触れられ、先生方に祈っていただく中で癒しを受けて変えられたのです。祈りの力と皆様の愛に支えられました。

私たち夫婦

 私たち夫婦は、同時期に中央聖書教会から神学校に入りました。当時の教会員にとって、私たちの献身は、想定外だったようです。しかし、故佐伯牧師には、すでに主から知らされていたようで、率先して送り出してくださいました。聖書の知識も奉仕の経験もありませんでしたが、只々イエス様の愛に押し出されて踏み出してきた献身の道。どんな時でも見捨てられることなく、御言葉と聖霊様の力で立たせてくださった49年間の歩みを振り返り、山形市の開拓に遣わされたことを心から感謝しています。後任の先生方には、函館での貴重な体験を生かして、さらに宣教と教会形成に励んでいただきたいと願っています。

あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。
伝道者の書11:1

離任式・就任式

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