「エステル-愛する仲間に支えられて
立ち上がったひと」
ラウジー満世
中央聖書神学校教師
サクラ・キリスト伝道所牧師
皆さんと一緒に旧約聖書に登場するイスラエルの女性たちについて読む機会をいただき、感謝します。旧約聖書の魅力の一つは、遠い昔、遥か遠くで生きていた多くの信仰者に出会えることだと言えるでしょう。今回は女性たちにフォーカスしますが、その中には現代のクリスチャンが誰でもその名を知っている人物もいれば、もしかしたらその存在すら忘れられている人物もいるでしょう。有名でも無名でも、個々の信仰者の姿は強く、美しく、しなやかです。そしてその信仰から多くを教えられます。6回にわたって彼女たちを紹介していきます。皆さんの信仰に気づきが与えられますように。
第一回目はその名が書のタイトルにもなっている「エステル」です。エステルの名を聞くと、何が思い浮かびますか?幼い頃から聖書に親しんでいた私は彼女にあこがれ、その美しさを想像して幸せな気分に浸っていました。特別な美しさを与えられたエステルは、信仰面では不自由な時代に生きた人でもありました。
エステルが暮らした舞台は異国、ペルシャの王宮でした。イスラエル王国はすでに滅びていたのです。南王国ユダもバビロンとの戦争に負け、滅ぼされました。多くの住民は否応なく生まれ育った土地から引き離されてバビロンで暮らすことになりました(捕囚)。数々の制限の中、小集団である程度の文化や習慣を保つことはできましたが、バビロン王国に目を付けられずに生きなければなりませんでした。やがてバビロンもさらに新興国ペルシャに滅ぼされます。この時点でイスラエル(ユダヤ人と呼ばれる)はペルシャ王の支配下で生きることになりました。いずれにしても権力を持つ支配者ににらまれてしまえばユダヤ人全体が危険にさらされてしまいます。
ちょうどその頃、ペルシャ王が美しい妃を探し始めました。国中から候補の女性が集められ、1年をかけて美しさに磨きをかけてから王の前に出ます。王の気に召した女性だけにその後も声がかかるのです。エステルは既に両親を亡くしており、モルデカイが父となって育て上げました。姿もふるまいも美しかったエステルは妃候補として王宮に上がりますが、ユダヤ人であることは隠すようにというモルデカイの知恵ある助言に従っていました。ユダヤ人を愛していたエステルにとってはつらかったでしょうが、他国の支配のもとで信仰を守りながら不自由な時代に生き抜くユダヤ人の知恵であったのでしょう。不本意ながらもたくましく生き抜く民の姿が見えます。神から特別に美しい容姿を与えられたエステルは、この美しさを用いられて王妃となりました。人間的に見ればなぜこんな立場に上がるべきなのか、この時点では理解し難いのですが。
その時、神以外のものに敬礼しないモルデカイの態度がペルシャの高官ハマンの自尊心を傷つけ、にらまれてしまいます。これによってユダヤ人全員が虐殺される危機に陥りました。状況を好転させるために白羽の矢が立ったのはエステルでした。彼はエステル自身が王のもとに出向き、ユダヤ人に対する陰謀を王に伝えてユダヤ人の命を守るよう嘆願することを願いました。しかし彼女が同胞のために立ち上がることは命がけでした。たとえ寵愛を受けた王妃といえども、王から呼ばれることなく王のもとに出向いたならば、王が笏を差し出して許しを与えない限り死刑になるのです。一度はモルデカイの願いを断るエステルですが、モルデカイは信仰のチャレンジをします。『「他のユダヤ人はどうであれ、自分は王宮にいて無事だと考えてはいけない。この時にあたってあなたが口を閉ざしているなら、ユダヤ人の解放と救済は他のところから起こり、あなた自身と父の家は滅ぼされるにちがいない。この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか。」』(エステル記4:13-14)エステルはこの言葉を思い巡らした末、モルデカイを通してユダヤ人に三日三晩の断食によるサポートを願いつつ神から特別な立場を与えられた者として、同胞のために立ち上がったのです。エステルの力強い信仰の言葉が聞かれます。「…定めに反することではありますが、私は王のもとに参ります。このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります。」(エスエル記4:16後半)
エステル記によればこの決心の後に行動を起こしたユダヤ人を取り巻く状況には不思議な導きがあり、ハマンの悪意に満ちたユダヤ人虐殺の企てはことごとく失敗し、逆にハマンが罰を受けることになりました。
ハマンが失脚し、ユダヤ人が守られる様子は内容としてはとても重いのです。しかし大変な逆境の中で信仰を持って強く生き抜いたエステルとユダヤ人の姿を時にはユーモラスなタッチで描いています。異郷の地で自由に堂々と信仰を表すことが出来ず、ユダヤ人という神との関係に関わるアイデンティティまでを知恵を用いて隠さなければならなかったエステルの口惜しさはどれほどだったでしょう。しかし彼女はいざという時にユダヤ人のために命を犠牲にする覚悟を持っていました。そこには「神」と明言出来ない時代にあっても自分と共に居て断食の願いを聞き、自分たちを守ってくださる神への確固とした信頼がありました。神から与えられた美しさを大胆に利用し、自分の民族を支配する国の妃となる意味を完全に知り得ないにもかかわらず、王妃となったのです。一見華やかなサクセスストーリーを難なく生きたお姫様と見えるエステルの生涯を支えたのは神を信頼する心、苦境に生きる神の民を愛する心でした。
美しさと強さとゆるぎない信仰を持ったエステルの歩みが、見えざる神の御手を動かし、ユダヤ人の救いをもたらしたのです。静かでゆるぎない信仰をもって自分を神の働きのために差し出す強さを実践できる強さを、私たちも神様からいただきたいですね。
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