2021年4月~2022年3月 各記事毎月1回掲載(全12回)
①「聖書の息遣い」(信仰エッセイ) 北野耕一師
②「日本語になった聖書の言葉」 堀川寛師
③「聖霊の炎を掲げて」Season1 鈴木正和師
④「神学の教養」 長澤牧人師
★「ペンテコステ特集2021」 三宅規之師
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「神学の教養」
神学の教養(12)最終回
福音は2種類あります。1つはイエスさまが伝えた福音です。もう1つはイエスさまについての福音です。2つは福音は密接につながっていますが、それぞれの特徴があります。イエスさまが宣べ伝えた福音は「神の国の福音」です。 -
「聖霊の炎を掲げて」Season1
聖霊の炎を掲げて⑫
戦後の日本アッセンブリー教団の設立と中央聖書学校の設立の陰の立役者だったのは英国人のジョン・クレメント夫妻です。彼らは戦前英国アッセンブリー教団の宣教師として東京で7年半活動しましたが、戦後は米国アッセンブリー教団宣教師団議長として再来日し7年間滞在します。もしも1949年1月末のクレメント夫妻の来日がなければ、日本アッセンブリー教団の設立は遅れていたかもしれません。 -
「日本語になった聖書の言葉」
「日本語になった聖書の言葉」⑫ 最終回
1873年、キリスト教禁止の高札が撤廃され、再びこの国での宣教が始まりました。来年で150年が経とうとしていますが、残念ながらクリスチャン人口は1%の壁を越えることなく、最近は高齢化と共に減少傾向にあることは残念でなりません。 -
「聖書の息遣い」(信仰エッセイ)
信仰エッセイ「聖書の息遣い」⑫ 最終回
使徒パウロは、ローマの教会に宛てた手紙に、「信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです」(ロマ10:17)と述べています。クリスチャン生活の中枢を示した言葉だと言っても良いでしょう。おこがましい言い分かも知れませんが、「聞く」よりも、「聴く」の方が適切な訳語ではないかと思うのです。 -
「神学の教養」
神学の教養(11)
神を直接見た人はいませんし、神を直接体験した人もいません。 神自身が言います。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである(出エジプト記33章20節 新改訳)」。 -
「聖霊の炎を掲げて」Season1
聖霊の炎を掲げて⑪
戦前の日本アッセンブリー教団の前身の団体の聖書学校の一つに弓山喜代馬が滝野川教会(現 神召キリスト教会)内に開校した聖霊神学院があります。 -
「日本語になった聖書の言葉」
「日本語になった聖書の言葉」⑪
今日の言葉は、日本人にとって最も馴染みのある聖書の言葉かもしれません。「汝」なんて言葉はとっくの昔に使われなくなりましたが、この言葉を引用する時、私たちは間違いなく「あなたの敵」とは言わず、「汝の敵」と言うのですから不思議です。それぐらい、この言葉は当時の日本人にとって-そして今でも-、強烈なインパクトを与えたのです。 -
「聖書の息遣い」(信仰エッセイ)
信仰エッセイ「聖書の息遣い」⑪
私の義理の兄(妻の兄)は全盲になりました。“なりました”という言い方をしたのには理由があります。事故によってではなく、疾病によるのでもなく、出産の際、彼をとりあげた産婆の人為的なミスによるものでした。洗眼液を間違えたのです -
「神学の教養」
神学の教養(10)
初代教会のキリスト者がイエス・キリストを神の如く崇めたことは学者を悩ませました。ユダヤ人的感覚ではありえないことだったからです。初代教会の主流はユダヤ人でした。今回はなぜ初代教会がイエス・キリストを主(ヤーウェイ)として礼拝するようになったのか、そのへんの経緯をご説明したいと思います。 -
「聖霊の炎を掲げて」Season1
聖霊の炎を掲げて⑩
戦前の日本のキリスト教界では英国人のウィリアム・テーラーの妻のメアリー夫人が日本のペンテコステ運動の開祖と考えられていました。