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信仰エッセイ「聖書の息遣い」⑫ 最終回

「聖霊のささやき」


信仰エッセイ「聖書の息遣い」⑫
by 北野 耕一

 使徒パウロは、ローマの教会に宛てた手紙に、「信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです」(ロマ10:17)と述べています。クリスチャン生活の中枢を示した言葉だと言っても良いでしょう。おこがましい言い分かも知れませんが、「聞く」よりも、「聴く」の方が適切な訳語ではないかと思うのです。何故なら「聞く」は、聞こえる聞き方で、主に、物音や話し声が”耳“に入ってくるときに用います。一方、「聴く」は、聴き入る聞き方で、音楽を聴くとか、講義を聴くときに使います。だから、その漢字の中には”心”が組み込まれています。ですから、「聴き逃す」とは表記しません。 (ちなみに私の小・中学校時代の「聴く」は、字画が多く「聽」でした。旧来の中国語の聖書も、上記の聖句に「聞」ではなく「聴」を用いています。) この区分けからすると、礼拝中説教を「聞いている人」と「聴いている人」がいると、想定することが出来ます。耳で聞いていると、聖書の情報蓄積を助けるかも知れませんが、聴き入っている会衆のように、霊性の向上には役立ちません。

ペテロは、主イエスの重要なメッセージを聞いてはいましたが、聞き流した結果、鶏の鳴き声に、自分の浅はかさを思い知らされ、悔悟の涙を流しました。十字架の上で、極度の苦痛に耐えながら語られる主イエスのことばの真意を聴き分けた犯罪人は、主の手に引かれてパラダイスに引き挙げられています。ひどいハラスメントを受けながらも、主イエスのことばの背後にある本意を悟ったカナンの女は、その信仰のたくましさに、主の賛辞を受けました。

 ヨハネによると、神は「ことばの神」です。「ことばの神」であるなら、当然、「語られる神」である筈です。事実、「神は仰せられた」と、ことばを発することによって、神は人間の存在に必要な環境を一つ一つ整えられました。(創世記1章) しかし、神は人間を同じ手段で創造されませんでした。創世記は、「神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった」(創2:7)と記しています。しかも、「ご自身のかたちとして創造された」(創1:27)のです。人のかたちの中に神のかたちが組み込まれたということは、数多くの創造の業の中で、人が最も崇高な創造体だという証しです。また、神は人と親密な交わりを望んでおられたという徴しでもあるのです。人が作った言語ではない何らかの媒体で、創造主と最初の人の意志の疎通が行われていたのではないか、と想像できます。罪が人に入り込む以前では、あるいは、媒体すら必要としない、「以心伝心」のような直接的交流が、両者の間に為されていたのかも知れません。

 しかし、アダムとエバが犯した罪によって様相が一変しました。神と直接交流ができなくなりました。それでも神は「ことばの神」であり、「語られる神」ですから、人間創造の目的である人との交わりを継続するため、語り続けられました。ヘブル書の著者は、「神は昔、預言者たちによって、多くの部分に分け、多くの方法で先祖たちに語られましたが、この終わりの時には、御子にあって私たちに語られました」(ヘブル1:1,2)と冒頭に記しています。

 主イエスが天に帰られた後、使徒時代には聖霊が顕著な方法で、使徒たちに語りかけ、為すべきことを指示し、時には行動を禁じています。しかし、今は当時のような聖霊の顕現を、日常的に体験できなくなったように思えます。とは言え、五旬節に注がれた聖霊と、寸分変わることのない聖霊の恵みに与った私たちです。だから、ことばである神が、聖霊を通してささやかれるみ声を聴き分けることが出来る筈です。

ここで、聖霊のささやきを聴き分け、素直に応じた小さな行為が、有り得ない奇蹟をもたらした証を紹介致します。

 私たち家族がハワイに移住して数年経ったある日、母から分厚い封筒が届きました。内容は、実家に、「大変な事が起こった」というのです。何事かと読み続けると、「聖日礼拝にお祖父ちゃんが来ていたの」と。私も、まさかあのキリスト嫌いの祖父が、と私も驚きました。明治生まれの典型的な昔気質で、母が、教会員や近所の方々と家庭集会を開くと、それに対抗して、観音講に、大勢の檀家を集めて、母に接待させていました。とにかく母とは折り合いが悪く、事ある毎に険悪な空気が立ちこめていました。ところがある日曜日、第一礼拝に行く父と母が目にしたのは、礼拝堂の一番前の席に、背筋を伸ばして座っている祖父の姿でした。駆け寄って「お祖父ちゃんよう来てくれました」と母が声を掛けると、険しい目付きで、「あんたのために来たんやない」と、叱り付けたそうです。そして何週間経ったある日、祖父は、母にどうして教会に行く決心をしたのか、その理由を話したのです。

母の手紙
救われる前の祖父
教会に出かける父と母

 私共家族が横浜港からホノルルに旅立つ前日(1963年10月)、別れの挨拶をするため、岸和田の実家に立ち寄りました。父母や兄弟たちに別れを告げ、最後に祖父の部屋に入りました。ハワイがどんなところか妻が色々と話した後、「お祖父ちゃん、暫く会えないけど元気でね」と、祖父の手を両手で握りしめ、部屋を出て行こうとしたときです。今も鮮明に覚えています。私の心の奥底に、「それだけでいいのか」という声なき声が響いてきたのです。「まだすることがあるだろう」ということです。祖父の部屋から出ようとする私の後ろ髪を、誰かがしっかりつかんでいるような感覚でした。それが「聖霊のささやき」だったのです。しかし、咄嗟に、何をすれば良いのか見当がつきません。聖書を開いて個人伝道をしようものなら、「止めんか!」と一喝されることは火を見るより明らかでした。できることといえばひとつだけ。祖父の顔を見上げ、恐る恐る「お祖父ちゃん、お祈りしてもいいですか」と尋ねました。しばらく間を置いて、かすかにうなずいてくれました。私にじっと目を据えている祖父の正面で、どうしても祈る勇気がなく、妻と後ろに回り、祖父の肩に手を置きました。それから、私は祖父のために祈った筈なのですが、その時の祈りの内容が私の記憶に全くありません。しかし、祖父の部屋の雰囲気が一変したのは確かでした。

 何故、祖父が、毎週日曜日、欠かさず礼拝に出席し、最前列の席に座って、説教に聴き入るようになったのか、その理由を祖父は母に次のように説明しています。「わしが教会に行くのはな、耕一がわしの部屋に入ってきて、お祈りとやらをしよったんや。耕一が、わしの頭にポトポトと涙を落として、わしのために祈るような神様が、どんな神様か知りたいのや」。ということで、誰に誘われたのでもなく、一人で、祖父の「神様探し」が始まったのです。祖父はまた、私たちが祖父の肩に置いた手から、温かいものが流れ込んだともいったそうです。聖霊は祖父の真摯な求道心に応え、数ヶ月後、天地創造の父なる神から遣わされた子なる神、主イエス・キリストを救い主と受け入れることができました。そして、1965年4月18日に、若い兄弟姉妹と共に受洗の恵みに与ったのです。頑固一徹な老人が一転して、好好爺に変えられました。天の父の身許に安らかに帰ったのは、それから2年後、5月19日です。87歳でした。

洗礼式の日

 「語られる神の声は書かれた神のことばに隠されている」と言われています。この命題が正しいとするならば、「聖霊のささやき」を聴き分ける鍵は、「書かれた神のことば」にあります。とは言え、聖書(書かれた神のことば)に印刷された文字列を目で追って行くだけで、自動的に、神の声が聞こえ、主の御心が判別できるというのではありません。書かれたことばが、私達の全存在に染みこんでいなければならないのです。そうすれば、私たちの心の奥に与えられている「神のかたち」、すなわち「キリストの心」が悟りに導いてくれるのです。パウロは預言者イザヤのことばを引用して、「『だれが主の心を知り、主に助言するというのですか。』 しかし、私たちはキリストの心を持っています」(1コリント 2:16)と述べています。

 「神の声」、それが「聖霊のささやき」であれ、「聖霊の響き」であれ、みことばが心に蓄えられ、霊的な環境が整っているならば、それを聴き取ることができる筈です。詩篇の作者は46篇10節に、霊的な環境造りを、次のように指示しています。「やめよ。知れ。わたしこそ神」(新改訳)、「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(口語訳)、「力を捨てよ、知れ/わたしは神」(新共同訳)と。聖霊の恵みに与っているペンテコステ教会の重要課題は、霊的に息切れすることのない環境整備を怠らないことです。その手段の一つは、私たちの信仰生活の要所、要所に「セラ」を組み込むことではないでしょうか。

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執筆者紹介

北野 耕一
きたの こういち  Kitano Koichi

日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団 巡回教師
前・中央聖書神学校校長

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