アッセンブリーズ・オブ・ゴッドを含めた、ペンテコステ・カリスマ運動と呼ばれる教会のグループは、今日のキリスト教で最も急速に成長しているグループです。1900年代に始まったこのグループに関わる人は現在世界に6億人いると言われ、世界人口の伸び率の4倍の勢いで増えているのだそうです。
何故こんなにも多くの人々が、この運動から生まれた教会にひきつけられるのでしょうか。ペンテコステ教会の幾つかの特長を挙げて、考えてみましょう。
- 1.神の臨在
- ペンテコステ教会の大きな特徴の一つは神様がおられることを直接感じようとする信仰です。人々は礼拝において、神様ご自身がそこにおられ、直接語りかけてくださり、触れてくださることを求めます。祈りや賛美を通して、人々は神様がそこに臨在してくださっていることを身体で感じ取ります。神様を理性的に頭で理解しようとすることを決して否定するわけではありませんが、ペンテコステ教会では、言葉や理屈を超えた神様の存在を身体全体で感じようとするのです。
以前私の教会でこのようなことがありました。家族に連れて来られて、礼拝に来るようになって2ヶ月ほどのお父さんがいました。ある日の礼拝後、涙を流しながら私のところに来て、こういうのです。「先生。今朝私は教会の席に座ったとたんに、涙が出て止まらなくなりました。嬉しくもない。悲しくもない。でも涙が止まらないのです。これは一体どういうことでしょうか」と。私は「それはきっと、神様がお父さんに『私はここにいるよ』と教えようとされているのではないでしょうか」と答えました。その方はそれから数ヵ月後にイエス様を自分の救い主と信じ、告白され洗礼を受けられました。信仰を頭で理解しようとして、分かったということではなく、まさしく神様のほうが、触れてくださり、神様がいることが身体全体で分かったので、信じるようになったということです。このようなことが教会では度々起こっています。
世界中でペンテコステ教会の会員が増えている要因の一つが、このように、礼拝のなかで、ダイレクトに神の臨在を感じることができる、ということだと思います。
- 2.聖霊のバプテスマ
- 神様がおられることを感じ、直接触れられる最も大きな体験の一つは、異言を伴う聖霊のバプテスマの体験です。聖霊に満たされる初めての体験を聖霊のバプテスマと呼びます。それは救いの後の、救いとは別の体験です。人はイエス様を救い主と信じ、告白した瞬間、聖霊なる神がうちに入ってくださり、住み始めてくださいます。この内住してくださる聖霊があふれ、圧倒されることが聖霊のバプテスマの体験です。そしてこの体験は今まで語ったことのない言葉、異言を語るようになることで証拠づけられます。
この体験をすると、礼拝に対する熱心さが与えられます。いつでも主を感じ、もっと近づきたいという思いになります。また祈りの生活が豊かにされます。自分の言葉(知性の言葉)で祈ろうとすると、30分祈ることも大変ですが、異言で祈るようになると、1時間でも祈り続けることができるようになります。私の教会でこの体験をされた方のなかに「イエス様が慕わしくて、毎晩早く子どもを寝かしつけて神様に祈り、神様と交わりたいのです」という若いお母さんがおられました。
そして何よりも聖霊のバプテスマは主の証人となる奉仕の力を与えます。C.F.ジュルゲンセンという先生は、アメリカで服屋を営む一信徒でしたが、聖霊のバプテスマを受けた後、福音を伝えるためにはどこにでも行きたいと願い、祈りの最中に「ジャパン」という声を聞き、1913年に家族とともに来日されました。51歳でした。日本語も分からず、組織的な支援があったわけでもありません。先生の働きは今日の日本アッセンブリー教団の源流の一つとなりました。このように、聖霊のバプテスマの体験によって、海を渡って福音を伝えたいという宣教師が多く起こされ、今日世界中に聖霊の恵みが拡がっています。
- 3.神の御業
- そしてペンテコステ教会で無視できないのは、神の奇跡的な業への期待です。特に癒し(神癒)の信仰が世界各地のこの運動を支え、推進させています。福音書はイエス様の癒しと悪霊追い出しのおびただしい記録にあふれています。また使徒の働きも、イエス様の弟子たちに聖霊が一緒にいてくださり、その働きに多くの癒しと悪霊追い出しが伴っていたことが記録されています。神様は今も生きておられ、働いておられます。この神様は、私たちを聖書に書かれているように、癒してくださる神様です。もちろん主権は神様にありますので、「絶対に癒されなければならない」という信仰は行きすぎです。しかし同時に、私たちは大胆に神様に癒しを求め、祈ることができるのです。
人間には不可能に見えても、神様に癒されたという体験をした人の証はどの教会でも枚挙にいとまがないでしょう。私たちの教会でも多くの人がそのような体験をされています。
「ここに主がおられる」という神様の圧倒的な臨在を感じ、直接触れられる体験、特に聖霊に満たされる聖霊のバプテスマを体験し、神の御業を熱心に求める。このような信仰が、この運動が始まって100年以上経った今も、とどまることなく成長している原因であると言えるでしょう。
「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」
使徒言行録 1:8 新共同訳
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