MENU

「日本語になった聖書の言葉」③


第3回

「働かざる者食うべからず」

堀川 寛 三滝グリーンチャペル牧師

 国際NGO「オックスファム・インターナショナル」は、「働かない者には食べる資格はない」という意味で、怠けている人たちを戒める聖書発祥の言葉として使われます。確かに、新約聖書の『テサロニケの信徒への手紙二』3章10節にそのような表現の言葉がありますが、実際の聖書には以下のように記されています。古い翻訳から並べてみましょう。

(文語訳・明治訳)「人もし工(わざ)を作(なす)ことを欲(このま)ずば食すべからず」
(文語訳・大正訳)「人もし働くことを欲せずば食すべからず」
(口語訳)「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」
(新改訳)「働きたくない者は食べるな」
(新共同訳)「働きたくない者は、食べてはならない」

意外に思われるかもしれませんが、これまで「働かざる者食うべからず」と訳した日本語の聖書はないのです。これら五つの訳に共通しているのは「働かない」のではなく、「働く意志がない」あるいは「働く意欲がない」者は食べてはならないと述べている点です。また、この箇所の前後を読むと、著者の意図が更にはっきりします。

 兄弟たち、わたしたちは、わたしたちの主イエス・キリストの名によって命じます。怠惰な生活をして、わたしたちから受けた教えに従わないでいるすべての兄弟を避けなさい。… 実際、あなたがたのもとにいたとき、わたしたちは、「働きたくない者は、食べてはならない」と命じていました。ところが、聞くところによると、あなたがたの中には怠惰な生活をし、少しも働かず、余計なことをしている者がいるということです。そのような者たちに、わたしたちは主イエス・キリストに結ばれた者として命じ、勧めます。自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい。(3章6~12節)

 ここで著者は(おそらくパウロでしょうが)、少しも働かずに怠惰な生活をしている人を厳しく戒めています。もちろん彼らは働こうと思えば働けるのに働いていないのであり、働きたいのに様々な理由で働けないのではありません。これだけはっきり書いてあるのに、なぜ「働かざる者食うべからず」が聖書の言葉として人口に膾炙してしまったのでしょうか。Wikipediaには次のようにあります。

 新約聖書の『テサロニケの信徒への手紙二』3章10節には「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」という一節がある。これが「働かざる者食うべからず」という表現で広く知られることとなった。ここで書かれている「働こうとしない者」とは、「働けるのに働こうとしない者」であり、病気や障害、あるいは非自発的失業により「働きたくても働けない人」のことではないとされている。(下線著者)

 (旧ソ連の)指導者ウラジーミル・レーニンは、1917年12月に執筆した論文「競争をどう組織するか?」の中で、「『働かざるものは食うべからず』――これが社会主義の実践的戒律である」と述べた。レーニンがこの言葉を使った際には、労働者を酷使し「不労所得で荒稼ぎする資本家達」を戒める意味合いがあった。

 Wikipediaも、この聖書の箇所はあくまで「働けるのに働こうとしない者」に対する言葉である、と説明してくれています(ホッ)。その上で、この言葉の本当の起源と考えられるレーニンの言葉を紹介しています。共産主義を掲げてソヴィエト連邦を作り上げたレーニンにとって、金だけ出して実際に手を汚さず金儲けをしている資本家たちは最も憎むべき敵であったのでしょう。彼の頭の中にテサロニケの言葉があったかどうか定かではありませんが、「働かない者」には食べる資格がない、ということを表現した見事な言い回しではあります。

 「働かざる者食うべからず」がどうして日本語になったのか定かではありませんが、少なくともオリジナルである聖書の言葉とは異なったニュアンスで広まってしまったことは残念です。もちろん聖書は労働の重要性を説いています。最初の人アダムを創造された際、「主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。」(創世記2:15)」とあります。地を耕すことは人に与えられた特権であり、そこから得られる収穫は祝福でした。一方で、働けない者たちに対しては、「落穂ひろい」の権利を与え、彼らが飢えることがないようにされました。

 話は少し飛びますが、現代社会の富の偏りは異常です。「世界で最も裕福な26人が、世界人口のうち所得の低い半数に当たる38億人の総資産と同額の富を握っている」(国際NGO「オックスファム・インターナショナル」・2018年)と言われています。一方、8億人以上の人々が飢餓状態にあるとのことです(ユニセフ・2018年)。果たしてこの状況は神様が創造されたこの世界のあるべき姿でしょうか?「働く」ことが正しく「食べる」ことに結びつく社会でなくなってしまった現代、「働かざる者食うべからず」は別の意味を持って私たちに語りかけてきます。

📝 記事の感想等は、下方のコメント欄をご利用ください

執筆者紹介

堀川 寛 
三滝グリーンチャペル牧師
中央聖書神学校 学監

広島県スクールカウンセラー
臨床心理士
公認心理師
不登校児のためのフリースクール主催(1997~2000年)
ひきこもり状態にある方々の支援(2008年~)
パソコン聖書ソフト「J-ばいぶる」の開発

妻と息子二人と犬一匹(チワワ)
趣味:ゴルフ・スキー・チェロ・落語鑑賞など

この記事が気に入ったら
いいねしてね!

お友だちへのシェアにご利用ください!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

感想・コメントはこちらに♪

コメントする