「日本語になった聖書の言葉」⑩


第10回

「豚に真珠」

堀川 寛 三滝グリーンチャペル牧師

 この国で市民権を得た聖書の言葉の多くは、日本人にとって意外な内容であったことがその主な理由ですが、意外ではない、つまり、もともと日本人にも馴染みのある内容だけれど、表現の意外性で日本語になった言葉があります。それが「豚に真珠」です。Goo辞書に、「《新約聖書「マタイ伝」第7章から》貴重なものも、価値のわからない者には無意味であることのたとえ。猫に小判。」とあるように、日本にはもともと「猫に小判」という言葉がありました。それでも「豚に真珠」が広辞苑に載ることになったのは、その表現の意外性というか、面白さが原因ではないかと思います。

ではそもそもどのような文脈で使われている言葉なのか、その前後も含めて読んでみましょう。

「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」 マタイ福音書7章1~6節

 ご存じ、人を裁くことを禁じた「山上の垂訓」の一節です。禁じた、というよりその愚かさを説いた、という説明の方が正しいかもしれません。「裁く」とは、善悪や優劣を判断し、評価することですが、欠点や過ちを見つけてただすという意味もあります。イエス様は、この「裁く」という行為について、三つの側面から教えておられます。

 まず、「あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる」と言われます。この言葉の意味は、相手を裁いた基準が自分にも適応される、という意味ですが、実は、私たちは自分自身に対しては判断の基準が甘くなるだろう、という指摘が隠されています。次の教えはもっと辛辣です。自分の目の中に丸太があるのに、どうして相手の目からおが屑を取らせてくださいと言えるだろうか、と言われます。これは、私たちは、自分の過ちや欠点はどれほど大きくても気づきにくいが、他人のそれはわずかでも気づき、指摘する生き物だ、という意味です。自分に甘いだけではなく、自分のことを全く分かっていないのに他人を裁くとは何と愚かなことか、とイエス様は嘆いておられるのです。そして、「神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。」と続きます。この部分は、しばしば「人を裁く」ことと切り離し、神の国の真理をその価値の分からない人たちに与えることを戒めている言葉と理解されます。しかしながら、文脈から言っても、「人を裁く」ことに関連して解釈されるべきです。

 「神聖なもの~」も「豚に真珠」も、その意味は明解です。価値の分からないものに、価値あるものを与えるな、ということです。ではこれらと「人を裁く」ということがどのようにつながっているのでしょう。今でこそペットの代表となった犬ですが、新約聖書の時代の犬はほとんどが野犬で、動物の死骸などを食いあさる忌むべき動物でした。そんな動物に、神様にささげるための食べ物をやってもありがたがりはしません。豚は、ごぞんじ汚れた動物の代表です。真珠の価値など分かろうはずもありません。つまり、単に価値が分からないだけではなく、対極にあるものとして引き合いに出されているのです。そう考えると、「神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。」という言葉は、非常に愚かな行為の例として挙げられていると分かります。多くの註解書には、「5節までの教えを極端にとることのないように配慮したもの(実用聖書註解)」だ、と解説されています。つまり、“裁いてはならないとは言ったが、最低限の判断は下さなければならい”ことの例として付け加えられた言葉だ、というのです。

 私はそうは思いません。イエス様はむしろ、人を裁くことは、犬に神聖なものを、豚に真珠を与えるようなものだと言われたのではないでしょうか。つまり、人を裁くこと自体が、非常に愚かな行為だということです。そうでないと、「それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」という後半部分の辻褄が合いません。判断力の無い人間が他人を裁くなら、反対にひどい目に遭う、とイエス様は言われたのではないでしょうか。*

 イエス様は全人類の罪を裁かれませんでした。むしろご自分の身に背負い、自らを裁かれました。そして、私たちに永遠の命を与え、神の子となる特権をすら与えて下さいました。私たちにはその価値の大きさを理解することはできません。まさに「豚に真珠」を下さったのです。その事実を思い返すとき、人を裁く気持ちは跡形もなく消え去るはずです。

*このような解釈をしている註解書には未だにお目にかかっていません。

執筆者紹介

堀川 寛 
三滝グリーンチャペル牧師
中央聖書神学校 学監

広島県スクールカウンセラー
臨床心理士
公認心理師
不登校児のためのフリースクール主催(1997~2000年)
ひきこもり状態にある方々の支援(2008年~)
パソコン聖書ソフト「J-ばいぶる」の開発

妻と息子二人と犬一匹(チワワ)
趣味:ゴルフ・スキー・チェロ・落語鑑賞など

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