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「発達障害について」(6)

まとめに代えて

堀川 寛 三滝グリーンチャペル牧師
中央聖書神学校 学監

この連載に合わせるように(?)、発達障害を正面から取り扱ったテレビドラマが放映されている。テレビ朝日系列で、金曜日夜11時15分から放送されている「リエゾン~こどものこころ診療所~」である。最近のテレビは便利になって、見逃しても放送局のHPから観ることができる(朝日テレビはTERASA)ので、是非ご覧いただきたい。簡単に内容を紹介すると、本人も発達障害である小児精神科医(ASD)が、叔母の残したクリニックで発達障害の子どもとその家族に関わっていく話しなのだが、そこへ、かなり重症の発達障害(ADHD)を抱えた研修医が飛び込んでくる。患者である子どもたちの症状に、研修医の症状がプラスされて、発達障害の特徴や困難さなどが実に分かり易く描かれていく。これまでも、発達障害を匂わせるキャストが登場するドラマはけっこうあったが、ここまで発達障害を真正面から扱ったドラマははじめてだろう。原作は『モーニング』に現在も連載が続いている漫画であるが、コミックは既に120万部を超えているそうだ。

 このような漫画がドラマ化され地上波で放映されていることの背景には、「発達障害」という言葉が人口に膾炙してきたことと、一方で、発達障害を抱えている人やその家族への誤解や間違った関わり方が減らないことへの問題意識を、制作側が感じているということがあるだろう。2006年に「発達障害者支援法」が施行され、2014年に「放課後等デイサービス(主に発達障害児に対する療育目的の児童館)」が始まった。各市町には「発達障害者支援センター」が置かれている。発達障害は非常に身近な存在?になったと言えよう。しかし、発達障害とはどのような「障害」なのか分かっている人は多くはない。筆者自身も分かっていない、というかずっと疑問に思っていることがある。それは、発達障害は大雑把に言って自閉症系の障害であり、同じ系列?にあるはずなのだが、ASDとADHDには正反対の特徴があるのはなぜだろう、という疑問である。前者には強いこだわりがあるが、後者はむしろこだわりが弱く直ぐに興味関心が移ってしまう。前者は場の空気を読むのが苦手だが、後者にその傾向はなく、むしろ読みすぎて?混乱してしまう人もいるぐらいである。前者は言外の意図を汲むのが苦手だが、後者はそうではない。ある意味両極端のような特徴を持つこれら二つの障害だが、脳の中で起こっていることには何らかの共通点があるはずだ。

 最近、発達障害に関する脳の診断が行われるようになってきた。ある研究では、「海馬」の発達の遅れ、つまり「海馬回旋遅滞症」が発達障害の原因ではないかとされている。「海馬」は脳の記憶をつかさどる部位で、左右一対で構成されていて、その発達のバランスが悪いと発達障害の症状を引き起こす脳の機能に影響を及ぼすという。また別の研究では、脳内のドーパミンD2/3受容体の減少が社会的コミュニケーションの困難を引き起こしている、と言う。脳の容量が大きいとか、シナプスの数が多い、などといった説もある。いずれも決め手を欠いており、私の持つ疑問に答えを出してくれない。更に研究が進み、両極端な特徴を持つ二つの代表的発達障害の原因を明快に説明してくれることを願っている。そして、おそらくその事、つまり脳の中で何が起こっているかはっきりすれば、発達障害の治療は劇的に進むのではないかと思う。

 しかし、ADHD的傾向を強く持っている私自身のことを顧みると、確かに子どものころは多動気味で、忘れ物が多く、危険な遊びばかりしていたが、この性格のお陰で様々な事にチャレンジしてこられたし、旺盛な好奇心は63歳になった今も衰えることはない。もし子どものころにADHD傾向の治療が行われていたら、全然違う人生を歩んできたかもしれない。なので、発達障害を治療するということは、よほど重篤な場合を除いて慎重に行われるべきだと考える。大切なのは―これまでもこの連載で繰り返し述べてきたことだが―、発達障害についての理解と、適切な教育と支援、そして社会の寛容さにあると思う。最後に、それらについての願いを述べて、この連載を終わることにする。

理解:

発達障害とはどのような症状や特徴があるのか、本人・家族はもちろん、社会全体で共有する必要がある。子どもの発達障害については随分理解が進んできたが、40代以上のいわゆる「大人の発達障害」についてはまだまだである。特に、前回おはなししたひきこもり状態にある人たちの中には発達障害を原因とする人が少なくない。社会の無理解が彼らを社会から遠ざけてしまったことは、非常に残念である。「多様性」を認める社会を目指すのであれば、発達障害の人たちの個性を生かす社会となってほしい。

教育と支援:

特別支援教育や放課後等デイサービスなど、発達障害児を療育するプログラムは徐々に整備されてきている。しかし、彼らと関わり、受け入れる側の児童生徒に対する教育は進んでいない。日本の教育は、異常を正常に戻す、というスタンスなのだ。確かに発達障害者は少数派であるが、異常な人たちではない。同調圧力の強いこの国では、みんなと同じようにできないことが責められ、みんな以上にできることに焦点は当たらない。教育と支援が必要なのは、発達障害だと言われている人たちではなく、それを受け入れられない人たちなのかもしれない。

社会の寛容さ:

発達障害の人たちの多くが、就職活動や実際に働き始めてから困難に直面するケースが多い。市場原理が導入され、コスパと効率が優先される社会で、発達障害を抱えている人が苦しんでいる。この半年間で、大人のADHD傾向の相談が3件あった。3件とも懇意にしている広告代理店の人事部長からの紹介で、彼の子どもを小学校時代にカウンセリングをしたことから関わりを持つようになった。彼は自分の子どもの事から発達障害について知り、その後は自分の部下や知人たちにその傾向があると思うと―もちろん本人が困っている場合だが―、直ぐに私のところへ相談に行くように勧めてくれる。それは、本人がまず自分の障害について理解し、改善の方法について考えるためである。詳細は省くが、いずれのケースもトラブルが減り、本人の困り感も減って快方に向かっている。もし人事部長に理解がなく、カウンセラーを紹介するという選択肢もなく、少し長い目で見るという寛容さがなければ、彼らは首になるか、自ら仕事を辞めざるをえなかっただろう。

以前、ある学校の校長から「障害のある子にとって居心地の良い教室は、そうでない子にとってはもっと居心地が良い」という言葉を聞いたことがある。「発達障害者にとって居心地の良い社会は、そうでない人たちにとってもっと居心地が良い」と言い換えてみてはいかがだろうか。

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