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「日本語になった聖書の言葉」④


第4回

「乗り越えられない試練」

堀川 寛 三滝グリーンチャペル牧師

 これまでこのコラムではおそらく明治時代に日本人によく知られるようになった聖書の言葉を取り上げてきましたが、今日は少し趣向を変えて、最近よく耳にするようになった言葉を取り上げたいと思います。それは「神様は乗り越えられない試練は与えない」という言葉です。

「神様は乗り越えられない試練は与えない」

 この言葉は、白血病から奇跡の復活を遂げた競泳の池江璃花子選手が、白血病を公表した直後の自身のツイッターでつぶやいたもので、正確には「私は、神様は乗り越えられない試練は与えない、自分に乗り越えられない壁はないと思っています。」と言ったそうです。また、ほぼ同時期に、フィギュアスケートの羽生結弦選手のインタビュー記事に、「よく言われる『試練は乗り越えられる者にしか与えられない』という感覚は、自分の中にあります」という言葉が掲載されました。この二人が、どこからこの言葉を持ってきたのか定かではありませんが、一説には、TBSの人気ドラマ「JIN〜仁」の主人公、南方仁(みなかた じん)が、ドラマの中でしばしば「神は乗り越えられる試練しか与えない」と語ったことに起源があるとも言われています。しかし、このドラマ以前からも同様の言葉が人口に膾炙していたようなので、出発点探しには意味がないかもしれません。

 しかしながら、この言葉の大本は間違いなく新約聖書、コリントの信徒への手紙一10章13節です。

 「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」

 クリスチャンの皆さんには大変馴染み深い、そして多くの人々を励ましてきた御言葉の一つです。しかしまた、これほど間違って理解されてきた言葉もないのも事実です。この言葉を正しく理解するためには、10章の冒頭から丁寧に読まなければなりません。本章は、「兄弟たち、次のことはぜひ知っておいてほしい。わたしたちの先祖は皆、雲の下におり、皆、海を通り抜け、皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなる洗礼を授けられ、皆、同じ霊的な食物を食べ、皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。」(1~4節)という語りかけで始まります。パウロが出エジプトの出来事を振り返ろうとしているのが分かります。次のように続きます。「彼らの大部分は神の御心に適わず、荒れ野で滅ぼされてしまいました。これらの出来事は、わたしたちを戒める前例として起こったのです」(6)。パウロは、イスラエルの民が荒れ野で行った「悪」として、偶像礼拝(金の子牛)事件とマナに対する不満事件を取り上げ、その際に多くの人々が裁かれたことを思い出すよう、語りかけます。そして、「だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです」と勧めているのです。ここで述べられている「試練」とは、荒れ野での事件のことで、「苦難」というより「誘惑」という意味に近いのです。更に重要なことは、13節に続く14節には、「わたしの愛する人たち、こういうわけですから、偶像礼拝を避けなさい。」とあるのです。

  実は、英語の翻訳を見ると、本節を誤解することはまずありえません。NIVには、

No temptation has seized you except what is common to man. And God is faithful; he will not let you be tempted beyond what you can bear.

 とあります。直訳すると、

「あなたを捕えた誘惑の中で、誰も遭ったことがないようなものはなかったなずだ。そして、神は誠実な方だから、あなたが耐えられないような誘惑にあなたを遭わせられることはない」

となります。ギリシャ語本文には「ペイラゾー」という言葉が使われていますが、これは、イエス様に対する荒れ野の誘惑を表す言葉としてルカ4:13に使われています。

 ということは、「あなたがたを襲った試練で…」という御言葉は、苦しみや突然の不幸や逆境を意味しているのではなく、明らかに「誘惑」の話をしていると断定してよいと思われます。この御言葉は、「神は、私たちが勝つことのできない誘惑を与えることをサタンに許しておられない」と言い換えることができるかもしれません。

 この誤解を生んだのは「試練」という訳語にあると思われます。Goo辞書には、「信仰・決心のかたさや実力などを厳しく試すこと。また、その時に受ける苦悩」とあります。聖書を翻訳した人たちは、「試練」という言葉の中に、「テスト=誘惑」という意味を込めようとしたのだと思われますが、日本語の一般的な理解とは異なっています。本来なら、少し直接的な表現ですが、「誘惑」と訳すべきだったかもしれません。

 この解説を読んで、「じゃあ、もうこの御言葉は苦難や逆境の時に使えないのですか?」とお嘆きの方々もおられるでしょう。確かにその通りです。しかし、聖書は苦難についてもっと積極的な教えを与えています。それは、「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」(ローマ5:3-4)という御言葉です。「逃れの道」を探すのではなく、苦難そのものを誇れるクリスチャンになりたいものです。

執筆者紹介

堀川 寛 
三滝グリーンチャペル牧師
中央聖書神学校 学監

広島県スクールカウンセラー
臨床心理士
公認心理師
不登校児のためのフリースクール主催(1997~2000年)
ひきこもり状態にある方々の支援(2008年~)
パソコン聖書ソフト「J-ばいぶる」の開発

妻と息子二人と犬一匹(チワワ)
趣味:ゴルフ・スキー・チェロ・落語鑑賞など

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