MENU

「日本語になった聖書の言葉」④


第5回

「シャボン玉飛んだ」

堀川 寛 三滝グリーンチャペル牧師

 聖書の言葉と同様、賛美歌も日本の文化に強い影響を与えたと言われています。特に、明治から大正時代に生まれたいわゆる「唱歌」は、賛美歌があったからこそ生まれた音楽だったとこの分野のオーソリティである安田寛氏は述べています (*1)。中でも最も有名なのは「シャボン玉飛んだ」だろうと思います。
 「シャボン玉飛んだ」は、「赤い靴」「十五夜お月さん」「七つの子」「青い目の人形」などで知られる野口雨情の詩です。子どもの遊びであるシャボン玉を題材にしたたわいもない歌のようですが、実はこの詩の背後には悲しい出来事が隠されているのです。それは2番の歌詞に現れています。

“「唱歌」という奇跡 十二の物語-賛美歌と近代化の間で”、安田寛、文春新書、2003年

シャボン玉消えた 飛ばずに消えた 生まれてすぐに こはれて消えた

(「は」は旧仮名遣い)

 ここに歌われている、生まれてすぐに消えてしまったシャボン玉とは、幼くして亡くなった野口雨情の娘たちのことだと言うことです。野口は明治41年に長女みとりを、そしてこの詩が発表される前の年の大正10年には四女恒子を天に送っています。特に長女みとりは生後八日目に亡くなったそうで、野口はこれらの悲しみを一編の詩に込めたのです。

 この悲しい詩に二拍子の弾むようなメロディを付けたのは、「てるてる坊主」や「雨降りお月」などで知られる中山晋平です。彼が野口雨情から作曲を依頼された時、賛美歌「主われを愛す」は既に唱歌の旋律に使われており(「運動」「虹」)、中山晋平ももちろん知っていたことでしょう。野口の詩が「七七調」であり、「主われを愛す」と同じであったことが中山に何らかの影響を与えたのでは、と考えられています-中山晋平自身は何も語っていないが-。実はそれ以上に深いつながりが、この二つの曲にはあったのです。

 「主われを愛す」は、1859年に出版されたアナ・バートレット・ワーナーの小説「セイ アンド シール」の中で、日曜学校の教師であったジョン・リンデンが、重い病気に苦しんでいる少年ジョニー・フォックスを両腕で抱きかかえて静かに歌う歌でした。ワーナー女史は、アメリカ士官学校の生徒ために、約60年間バイブル・クラスを開いて聖書を教えた人でした。この小説の挿入歌にウィリアム・ブラッドベリーが曲を付け(1862年)、全米で歌われる賛美歌となりました。明治2年(1869年)には、横浜や神戸と言った居留地でこの賛美歌は歌われ始め、明治五年に作られた日本で最初の賛美歌集に掲載されました。

 実は、野口雨情は、中学生だった明治31年、内村鑑三が基督教青年会館で開いていた月曜講演会に出席し、キリスト教的世界観に共感したと言われています。その講演会で「主われを愛す」が歌われたかどうか定かではありませんが、「シャボン玉飛んだ」の七音・四句の形は、「主われを愛す」そのものであり、その賛美歌の底流に流れる幼子への愛や、憐れみが作詞家の心に影響を与えたであろうことは想像に難くありません。

 ということは、賛美歌「主われを愛す」の形と思いは、「シャボン玉飛んだ」の詩にも曲にも流れていると言えるのです。先述した安田寛氏は、「童謡『シャボン玉飛んだ』と賛美歌『主われを愛す』の類似は他人のそら似などではけっしてなく、『シャボン玉飛んだ』は『主われを愛す』の生まれ変わりであると言わざるを得ない」と断言しています。


 「アメイジング・グレース(驚くばかりの)」は、コマーシャルで多用されるほど日本に浸透した賛美歌ですが、残念ながらそこに込められた救いのメッセージは日本人の心に届いていません。しかし、ゴスペルミュージックが日本人の心を掴んだことは確かです。福音のメッセージがゴスペルや唱歌を通して、日本人の右脳に染み込んでいくことを願うばかりです。

執筆者紹介

堀川 寛 
三滝グリーンチャペル牧師
中央聖書神学校 学監

広島県スクールカウンセラー
臨床心理士
公認心理師
不登校児のためのフリースクール主催(1997~2000年)
ひきこもり状態にある方々の支援(2008年~)
パソコン聖書ソフト「J-ばいぶる」の開発

妻と息子二人と犬一匹(チワワ)
趣味:ゴルフ・スキー・チェロ・落語鑑賞など

📝 記事の感想等は、下方のコメント欄をご利用ください

この記事が気に入ったら
いいねしてね!

お友だちへのシェアにご利用ください!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

感想・コメントはこちらに♪

コメントする