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「日本語になった聖書の言葉」⑦


第7回

「狭き門」

堀川 寛 三滝グリーンチャペル牧師

 今日取り上げる「狭き門」という言葉は、その出自が聖書であることが忘れ去られるほど見事に日本語になった言葉と言えます。「『狭き門』は、キリスト教で天国に至ることが困難であることを例えたことば。転じて、入学試験や就職試験など、競争相手が多くて突破するのがむずかしいことのたとえ」だと「故事ことわざ辞典」には説明されています。「狭い門」ではなく「狭き門」というあたりに、古い聖書、つまり文語訳聖書に起源がありそうだなと思いますが、実はこの言葉を有名にしたのは聖書そのものではなく、その言葉を冠した小説であることをご存じでしょうか。

 その小説とは、ノーベル文学賞受賞者であるフランスの小説家アンドレ・ジッド(ジードとも表記される)による「狭き門」です。もともと1909年(明治42年)にフランスで発表され、1922年(大正11年)に山内義雄によって邦訳されて出版されるや、日本に一大ジッドブームが起こったそうです。なぜ大正時代にフランスの、しかもキリスト教的な内容の小説が流行ったのか不思議ですね。読まれた方もあるいはおられるかもしれませんが、まずはその小説の内容について説明しましょう。

 物語の語り手であり主人公でもあるジェロームは、2歳年上の従姉であるアリサに恋心を抱く。アリサもまたジェロームを愛しているが、彼女の妹のジュリエットもまたジェロームに好意を抱いていた。 しかし、ジュリエットと周囲の人々は両者が結ばれることに好意的であるも、神の国に憧れを持つ彼女は、妹への遠慮もあり結婚をためらい続ける。それは、二人の思いを知ったジュリエットが身を引いてもなお変わらなかった。
 アリサは最終的に地上での幸福を放棄し、ジェロームとの結婚をあきらめてついには命を落とす。残されたジェロームは、アリサが遺した日記に綴られた自分への熱い思いを胸に、『全てを忘れてしまうまで』一人生きていくことを決める。

(Wikipediaより)

 この説明だけ読むと、なぜこの小説のタイトルが「狭き門」なのかさっぱり分かりませんが、ジェロームの思いに応えなかったアリサの選択と関係があります。彼女は熱心なクリスチャンでした。彼女にとっては、自分が好意を寄せ、また好意を寄せられている人との恋愛を成就させることは「広き門」であり(誰でもやっている当たり前のこと)、イエス様は「狭き門」から入ることを求めておられるのだから、この恋愛を成就させないことが「狭き門」を選択することになる、と判断したのです。彼女の思いは以下のような台詞に表されています。

「神さまを得ようと思ったら、誰でもひとりでなくてはいけないのよ」

「わたしの考えでは、死ぬっていうのはかえって近づけてくれることだと思うわ」

「自分に課せられた義務が苦しければ苦しいだけ、それだけ魂がはぐくまれ、魂が引き上げられるということがわかったろうと思います。」

「人間が近づいていってまちがいのないのは、ただ主のほうだけですの」

「わたしたちは、幸福になるために生れてきたのではないんですわ」

(『狭き門』山内義雄訳より)

 何と純粋な、いやかなり行き過ぎた信仰姿勢でしょうか!作者ジッドは、この小説を通して歪んだ聖書理解を批判しようとしているのではないか、とも言われています。しかし、不思議なのは、この小説が大正時代の日本人に広く受け入れられ、一大ブームになった、ということです。その原因の一つは、当時の人々のキリスト教に対する関心の高さにあったでしょう。“キリスト教徒というのはこういう考え方をするのか”と驚いた人もいたでしょうが、一方で、宗教と恋愛という日本人にも古くから馴染みのあるテーマが、キリスト教をより身近に感じさせたのかもしれません。

 日本には、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」「寄らば大樹の陰」「出る杭は打たれる」「長いものには巻かれろ」、など「広き門」を正解とするような格言が多くあります。また、小学校の時から何でもかんでも「多数決」で物事を決める習慣が身につき、多数派こそが正義であるかのように思い込まされています。人類は多数派が生んだ取り返しのつかない多くの悲劇を経験してきました。人間はそもそも皆罪人であり、神の思いに反する性質を持っています。なので、その人間の多数派の選択が正しいとは限りません。イエス様が「狭き門もより入れ」と言われたのは、そのことに対する戒めなのです。


「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」(マタイ福音書 7章13~14節)

 「狭き門」の邦訳が出版されて来年でちょうど百年になります。人間の目には広く見える門は滅びへの道に通じ、狭く見えている門こそ、本当の命に至る道があることを、日本の人たちにも知ってもらいたいものです。

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執筆者紹介

堀川 寛 
三滝グリーンチャペル牧師
中央聖書神学校 学監

広島県スクールカウンセラー
臨床心理士
公認心理師
不登校児のためのフリースクール主催(1997~2000年)
ひきこもり状態にある方々の支援(2008年~)
パソコン聖書ソフト「J-ばいぶる」の開発

妻と息子二人と犬一匹(チワワ)
趣味:ゴルフ・スキー・チェロ・落語鑑賞など

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