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「きみにエールを送りたい~揺れる時期に寄り添って~」⑤

 嘉手納アッセンブリー教会 神山 美由記

理由はうまく説明できないけど、とにもかくにも・・・親がウザい!
顔を合わせるたびに兄妹ゲンカをしてしまう、なんてことはないでしょうか。

 私はというと、もちろんありましたよ。むしろ、ありまくりでした。
私には9つ歳の離れた兄がいるのですが、私が思春期を迎える頃には兄はすでに就職をして家を出ていたので、両親の関心はおのずと私に集中しました。
しかし、当時の私にはそれがとてつもなく窮屈で、不自由に感じていました。

 母親はどうあがいても逆らえない存在(何か反抗するようなことを言えば倍返しで返ってくる)だったので、「そんなに干渉して来ないで!」と言いたくても言えず、代わりに父親に八つ当たりしてみたり…。親だけではなく、大学生になってからもなぜか兄とギクシャクした時期がありました。

 訳も分からずモヤモヤ、イライラする時だってあります。「理由はうまく説明できない」というのも思春期独特の理由です。親や大人からすると、どうして説明できないの?と思われて、それがまた悔しいのですが、日々大きな感情のブレ幅を感じ、私自身が自分の心に振り回されているような感覚でした。

 友人や家族のふとした一言に大きく傷ついてしまったり、あるいはその一言が引き金となって大噴火してしまったり・・・。(女子の場合、ホルモンバランスも大きく影響します)自分の心の中に大暴れするモンスターが常駐し、なかなか追い出せませんでした。というよりも、このモンスターが私自身だという現実にある時気づいたのです。

「私は、愚かで、わきまえもなく、あなたの前で獣のようでした。」

詩篇73:22

当時の自分を振り返ると、まさしくこの御言葉に尽きるのです。

 大人になっていくにつれてこの感情のブレ幅というのは、ある程度落ち着いてきます。
それは徐々に、いつのまにか自然と落ち着いてくるので、自分の心の中がジェットコースターみたいに色々な感情を高速スピードで行ったり来たりしていた感覚は、30代にもなると案外忘れ去られてしまいがちです。

 しかし、ある時礼拝で恵まれて賛美していた中高生が帰りの車に乗ろうとしているその駐車場で親御さんと喧嘩している姿を見て、「うん、うん。確かに自分もあんな感じだったかも。」と当時の記憶が一気に蘇ったのです。

 私たちが親のことをウザく感じたり、今までとは違った距離感で接しようとする(いわゆる反抗期と呼ばれる期間)のは、親から精神的に自立していこうとする一つの大切なプロセスだと思います。しかし、親も生身の人間ですから、自分から離れていこうとする我が子に寂しさを感じたり、今までとは違った娘や息子の生意気な態度に対して感情的になってしまい、お互いに衝突を繰り返してしまうことはあるでしょう。

 私の場合はTHE思春期の時代に親を教会に導く真っ最中でした。おまけに親子ゲンカをするたびに礼拝を休むという、分かりやすい報復行動に出る母親のおかげ(笑)で、家庭内の空気が一瞬で牧師先生にバレてしまい、礼拝が終わった瞬間に呼び出され、「アンタ、またケンカしたやろ。家庭で証しを立てるような生活せーへんとアカンやろ。親の躓きをアンタが作ってどないすんねん。」と礼拝に続く2本目の“お説教”を受ける始末。

 いっそのこと、学校の家庭科の授業で、「エプロンやナップサックの作り方とか、サンドイッチやスープを作る調理実習も楽しいけど、“家庭(家族)”と向き合う勉強ももっと教えてくれないかな。」とさえ思ったものです。

 ここで、みなさんに考えてほしいことは、「今は反抗期なんだから、わかってよ!」という一方的な都合を親に押し付けたり、「どうして自分のこの複雑な感情をわかってくれないのよ、毎日一緒に住んでるんだからちょっとは理解してよ。」と“理解してもらって当たり前”感覚で親に要求していないか、ということです。
この心の態度をずばり一言で言ってしまうと、親に対する「甘え」なのです。

みなさんが一生懸命「大人」に向かって進んで行こうとしているその心は、まだまだ繊細で壊れやすさを持っています。だからといって、どんな振る舞いをしても許されるわけではありません。子と親は血を分けた人間ではあっても、親と子はそれぞれの人格を持ち、お互い完全に理解し合うことは難しいのです。

 私がこの結論に辿り着いた時は高校生か大学生くらいだったと思いますが、少し心に痛みが伴う大切な気づきだったと振り返って思います。
「もっと自分を理解してよ」「どんな自分でも受け止めてよ」という自分を押し付けるかのような心の態度のままで大人になってしまうと、今度は恋人や同僚、将来のパートナーに対しても同じような接し方しか出来なくなってしまいます。
身体だけではなく、心も健全に成長していくために、一人の大人の女性として、あるいは一人の大人の男性として、両親や兄弟に向き合ってみましょう。
もしみなさんの中で、家族との関係に緊張感が生じるものであるならば、「今日はなんだか揉めそうだな」という心境の時に一言お祈りしてからリビングに行ってみてはどうでしょう。

神様、私たちの関係の真ん中に神様がいてください

私はよくそう祈っていました。

 ホルモンバランスの不調を感じ、涙脆い自分を感じた時には「必要以上に傷つかないように、私の心を守ってください」と祈ることもありました。
家庭内のことは外からは見えづらく、閉鎖的になりがちです。だからこそ、神様に祈りながら「聖霊の風」を吹き込んでいただく心の換気が必要なのです。

前に挙げた御言葉には続きがあります。

「私は愚かで考えもなく あなたの前で 獣のようでした。
 しかし 私は絶えずあなたとともにいました。
 あなたは私の右の手を しっかりとつかんでくださいました。」詩篇73:22-23

 あんなに衝突した私の母は私が高校生のときに、父は私が大学生のときに洗礼を受けました。もちろんクリスチャンになってからも親子ゲンカをしましたが、母が自身の感情に葛藤しながら祈っていた後ろ姿を忘れることができません。

自分の心を正しく取り扱ってくださる神様の元にいくときに、家庭に希望の光が差しはじめるのです。

 みなさんの家庭が、神様の愛と平和で満ちたものでありますように、お祈りしています。
まだ救われていない家族がいたとしても、まさしく今、家族関係が良いものではなかったとしても大丈夫。あなた自身が神様のもとで真の安らぎを得て、愛を受け取る中で、あなた自身が変えられて、それが家庭の空気を変えていく大きな証しとされていくのです。

家族伝道で失敗を繰り返し続けた私だからこそ、そんなみなさんのためにとりなして今日もエールを送りながらお祈りしています。

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