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「きみにエールを送りたい~揺れる時期に寄り添って~」③

 嘉手納アッセンブリー教会 神山 美由記

「年齢を問わず・・・」

 学生時代だけではなく、社会人になっても、いやいや、もっと年齢を重ねても女子は恋バナが大好き・・ですよね?!(笑)

 私が以前牧会させていただいた大阪の某教会では50代から80代の女性たちと「かつての」恋バナで何時間も話に花が咲き、朝から夕方まで家庭集会が続いたこともありました。

 私は教会でこそ、恋愛や結婚についての話題をオープンに分かち合ってほしいと願っています。ですから、牧師館に中高生がご飯を食べに来た際には一緒にお皿を洗いながら「もしかして最近彼氏できた?」とストレートに聞いてみたりもします。すると大体の子が隠すことなく近況を話してくれるのですが、面白いことに恋愛だけではなく家族や進路、将来の夢などその子にまつわる色々な話にトーク展開していくのです。恋愛話はユースにとって、相手に心を開くきっかけの話題ではないでしょうか。

 しかし、恋愛こそ自由に話せる話題であってほしいと思う一方で、ユースにとって教会という場所が本音で恋愛を話せる空間になっているか、というのがこれを読んでいる大人の皆さんに投げかけてみたい問いでもあります。

 一方でこれを読んでいるユースの皆さんが「いや、実はけっこう教会では恋バナ話しづらくて・・」と思う理由があるとするならば、これまで教会で教えられてきた禁止事項がパッと頭に浮かぶからではないでしょうか?

教会で学ぶ恋愛は禁止事項ばかり?!

「二人っきりだけで遊んじゃダメ!遊ぶ時はグループで遊ぶように。」

「異性(彼氏・彼女)を車の助手席には座らせないで!」

「二人で密室や暗いところには行くな。」・・・などなど。

 以上の事柄はよく教会の先輩方から教えられる恋愛禁止事項です。もちろん間違っているわけではないのです…が、批判を恐れず、当時の自分の気持ちを正直に書いてみると、「なんじゃそら(笑)」と思っていました。というのも、どの項目も「やめときや」「アカンで」の連続…。キャンプで恋愛の分科会に参加した後は部屋に帰ると暗い顔になるユースが続出。当時の私は、誰かと交際することとは遠い場所にいたのですが、こういう項目を教えられた後は「恋人が出来る」=「これから罪を犯しに行く」かのような罪悪感混じりの誤解が生じかねない心境でした。禁止事項ばかり刷り込まれたところで、興味がなくなるわけではなく…。でも恋愛話を自分から切り出せないもどかしさもあり、恋人が出来たメンバーは後ろめたさ故に、自然に教会から去ってしまうことも残念ながらありました。

 もちろん、なぜ上記の項目が「ダメ」なのか理由付きで語られ、教えられていたと思いますが、理由うんぬんよりも禁止形で話す言葉の威力の強さは計り知れず…それを破らないようにとプレッシャーになるあまり、交際自体を隠したり、相手との関係にぎこちなさが生じたりもします。

 誰かを好きになることや、気持ちを通わせること自体は全く悪いことではないのですが、いざ恋愛が始まると周りの目を気にしたり、罪悪感で苦しくなってしまうという話もよく聴きます。(大人はそういうつもりで語っているわけではないんだけどね。)

 ユースたちが罪を犯さないように、大人は配慮して「こういうことに気をつけなさいよ」という意味合いで教えることも多いのですが、どうもこの禁止事項だけがユースの心の中で早歩きしているような感覚を覚えます。

 誰かを真剣に愛そうとしている自分に出会う瞬間、あんなに大好きだった相手なのに交際していく内に気持ちがすれ違ってしまった時の挫折、告白してフラれた時の行き場のない気持ち…。

 恋愛の中で抱える感情はとてつもなくデリケートです。だからこそこんな時に話を聞いてもらえる場所(人)、一緒に祈ってもらえる環境がそれぞれにあってほしいなぁと切に願うのです。

「クリスチャンの私を見てほしい」

 ある時、社会人ユースのメンバーKちゃんが「先生、お話があります。」と緊張した様子で話しかけてくれました。Kちゃんは両親といつも一緒に教会に集っているので、近くで集会の片付けをしている父親の目線を気にしながらも、最近交際し始めた人がいるとコッソリ打ち明けてくれたのです。

 彼女はこれまでも何人かとお付き合いをしていたのですが、どこか後ろめたさが抜けず、牧師や教会の人たちに具体的に相談することが出来なかったようです。

 「でも、今回はちゃんと彼に教会の話も出来て・・・私はクリスチャンだからこういうお付き合いがしたいって色々なこともちゃんと伝えて、彼はそれでも全然いいよって受け入れてくれたんです。」「うん、うん。」話を聴きながら、彼女の覚悟がだんだん伝わってくるのを感じました。

 「それから、教会にも誘ってみたんです。今度ゲスト講師が来る週があるから、その日がいいか、それともいつもの先生たちが説教してるフツーの礼拝の時がいいか迷っていて…」

 私が「あ、そうなの?でも初めて来るなら、分かりやすいお証の時がいいんじゃない?ゲストの先生が来られる日にしたらどう?」と勧めると「じゃあ、そうしてみます!私、今回はちゃんと教会に来ている私を見てほしいって思ってるんです。クリスチャンの私を知ってほしいって思って。」

 内なる決意を意気揚々と語る彼女の横顔は、私が今まで見てきたKちゃんの中で一番美しい横顔でした。そしてその言葉が聴けて、本当に心が震える思いがしました。

 恋愛をすると、女子ならば「私」を見てほしい、となるはずです。「あなたを好きな私」「あなたのために一生懸命尽くす私」「自然体の私」「弱っている私」…。でもKちゃんは「クリスチャンとして生きている私」を知ってもらいたい、と一番に考えたのです。彼女の生活の中心にある信仰・・・

 将来を考える相手だからこそ、自分が一番大切にしている信仰についてちゃんと知って理解してほしい。そして自分の姿を通して神様のことを伝えたい。そんな彼女の決意を聞くことが出来てとっても嬉しくなった夜でした。会堂の隅でKちゃんの交際の祝福を祈った後、彼女は「やっぱり今日みゆき先生に話せてよかったです。」と清々しい表情で帰っていきました。神様が応援してくださる恋愛ってこういうことなんだな、とKちゃんの姿勢から教えられました。

「大切なことだからうまく言えない」

 その数日後、Kちゃんは彼氏を教会に初めて連れてきました。かわいいワンピース姿で頬を赤らめるKちゃんとその隣で緊張した面持ちで座っている彼。まっすぐに講壇を見つめて御言葉に聴きいる彼の姿を見て「誠実そうだな」という印象を受けました。

 礼拝後、さっそく話しかけに行くと、彼よりも緊張しているのはKちゃん自身だということに気が付きました。「いざ伝道するにしてもどう言葉にしていいか悩むよなぁ」・・・とKちゃんたちのことを考えていた中で、ある友人のエピソードがふと蘇りました。

 その友人は、当時交際していた彼女(つまり今のパートナー)にプロポーズをしようと心に決め、お台場デートに出かけたそうです。楽しく食事をしたあと、夜景の綺麗な場所で海を見ながら、いざプロポーズの言葉を…と思うのですが、どうも緊張してしまい「僕と結婚してください」の決め台詞が言えなかったそうです。

 その後どのようにプロポーズしたのか、という肝心なところはすっかり忘れてしまったのですが、彼の話を聴いて一番印象に残ったことは、「大切な人に、大切なことを話そうとするから(緊張して)うまく言えないんだ。これは伝道においても一緒。僕らが伝道しようとするときも、相手が自分にとって大切に思う人だからこそ、神様を伝えたいと願う。でも、神様を伝えるってこともまた大切なことで、だからこそ上手く言えないんだ。だから上手く話せない自分を恥じる必要はない。それは相手に一番大切なことを語ろうとしている瞬間なんだ。」という言葉です。

 ノンクリスチャンと恋愛が始まると、クリスチャンの自分が相手に受け入れられるか不安になったり、教会に誘うのがおっくうになってしまうこともあると思います。でも、ほんの少しの勇気をもって相手に神様のことを伝えてみてはどうでしょう。その相手が本当にあなたを大切に思ってくれているなら、あなたが一番大切にしている神様のことをきっと知りたいと願ってくれるはずです。そしてそのために周りの大人も祈って応援してくれるでしょう。

「祈られる恵み」

 実際に私自身も夫と結婚するまでに実に多くの人たちに祈ってもらいました。

 自分が恋愛や結婚に対して前向きになれず、正直祈れない時もありましたが、周囲に祈られていたというのは私にとっての大きな力でした。ある友人は「3食、箸を持つ瞬間にみゆきちゃんのことを祈っていたよ。」「毎晩、朝夕に祈っているよ。」と私以上に祈ってくれていたのです。

 祈られる恵みの大きさを知っているからこそ、私自身が誰かの祈り手として神様に用いていただきたいという願いが自然と起こされてきました。ユースや同年代のメンバーに自分の経験をオープンに話す中で、恋愛や結婚のために祈ってほしいという申し出も増えたように感じます。

 私たちが恋愛を重ねていく中で、傷ついた過去の経験、自我やコンプレックスと向き合わざるを得ない時もあります。しかし、神様はそのプロセスを通して私たちを取り扱われてゆき、私たちが御心の相手を求める以前に、自分自身が神様の御心に適った者として歩めるようにと整えてくださるのを実感します。

 全国の愛するユースの皆さん、誰かを好きになること、大切な人が出来ることはとても素敵なことです。それを失うと自身が壊れてしまいそうになるほど繊細な想いだからこそ、牧師先生や、周囲の信仰の先輩にぜひ祈ってもらってください。全部話そうとしなくても、大丈夫。経験豊富な大人たちは、みんなの言葉にしづらいその気持ちをよく理解して、親身に話を聞き、お祈りしてくれるでしょう。

 神様に喜ばれる恋愛、神様に応援してもらえるような恋愛って何だろうって、教会のユースの交わりの中で自由に語られ、祈りの輪が自然に出来ていくことを願って皆さんの祝福をお祈りしています。

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