今日は、いわゆる「ひきこもり」と発達障害の関係について述べようと思う。
最初に、そしてはっきりと申し上げたいことは、ひきこもりの原因はひきこもっている個人にも、そして家族にもなく、社会すなわちこの国にある、と私は考えている。ひきこもり人口は100万とも200万とも言われているが、なぜこんなに多くの人たちが働かない(働けない)でいるのだろうか。私は、戦後の劇的な社会構造の変化にあると思う。
第一に、産業構造の変化である。1950年には、労働人口の約50%が第一次産業すなわち農林水産業(主に農業)に従事していたが、2000年には約5%、つまり50年間で十分の一に激減しているのだ。反対に増加したのが第三次産業で、1950年には労働人口の約30%であったものが、2000年には約65%になり、2020年には何と75%を越えたと思われる。第三次産業とは、運輸,通信,商業,金融,公務および自由職業,その他のサービス業を含む産業部のことで、教育や介護も含まれる。基本的に人と関わる仕事と言えよう。発達障害、特にASD系の人たちは、空気を読んだり、コミュニケーションを取ることに困難を抱えているため、この類の仕事は得意ではない。そのため、仕事に挫折したり、職場で疎まれたりして長続きせず、結果として就職をあきらめてしまった人たちが多い。そもそも人との関わりが苦手で、就職活動に踏み出せず、そのままひきこもってしまった人たちもいる。
話を戻そう。ひきこもりを生んだ社会構造の変化に経済的豊かさがあると思う。現在、ひきこもり問題において最も深刻なのは「8050問題」である。これは80歳代の親と50歳代のひきこもりの子どもが同居している状態を表している。50歳代の子ども(と言っても十分大人だが)の就職はまず難しく、80歳代の親はいつお迎えが来てもおかしくない。親たちは、自分たちの死後わが子がどうなるのか考えるのも恐ろしいが、状況を打開する手立てはなく途方に暮れている。このような悲惨な状況を作り出してしまったのは、ひきこもりが社会問題として取り上げられるようになった1990年代後半からの二十数年間、この国の政府がほとんど何もしてこなかったことが最大の原因である。一方で、高度成長期以後、持ち家化が進み、親の年金で暮らせる人々が生まれてきた。「8050問題」の対象となっているのは、まさにその世代なのである。経済的に豊かになる(余裕がある)ことは悪いことではないが、働かなくても生きていける環境は、そもそも働きにくい人たちがひきこもる遠因となっていると言えないだろうか。
最後に申し上げたいことは、働く意義を見出せない社会になっている、ということだ。基本的に労働は生きていくための手段であり、働かなければ生きていけないから働くのである。しかし、経済的豊かさは働かなくても生きていける環境、すなわち労働がマストではない社会を作り出してしまった。内閣府が2010年に実施した「若者の意識に関する調査」いわゆる「ひきこもりに関する実態調査」によると、ひきこもりになったきっかけの第一位は「職場になじめなかった」で、全体の23.7%。第二位は「病気」で、同じく23.7%。第三位は「就職活動がうまくいかなかった」で、20.3%となっている。また、第五位の「人間関係がうまくいかなかった」が11.9%となっている、その多くは職場での人間関係のトラブルだと考えられる。となると、ひきこもりになったきっかけの50%以上は仕事、あるいは職場環境に関連していることになる。この数字と、労働がマストではなくなったこととは無関係ではない。何が何でも働かなければ生きていけないのであれば、何としてでも就職し、石にかじりついてでも職場に通い、めんどくさい人間関係に耐えながら仕事をし続けなければならない。しかし働かなくても生きていけるのであれば、これらは心理的ハードルとなり、乗り越えるのには何らかの心のエネルギーが必要となる。そのエネルギーの源こそ「何のために働くのか」という問いに対する答え、つまり働く意義なのだが、この答を見いだすのは簡単ではない。何かやりたいことがあったり、目標があったりすれば、自己実現が働く意義となる。でも、そうでなければ、あるいは何らかの理由で挫折してしまったら、労働に伴う心理的ハードルは限りなく高いものとなり、ひきこもらざるを得なくなってしまうのである。
現在では、ひきこもっている人の三分の一から半数に発達障害の背景があるのではないか、と言われている。残念ながら、この問題に対する有効な解決策は見つかっていない。私の願いは、ひきこもっている人たちや親たちが非難されることなく、むしろ歪んだ社会の被害者であることが認識され、彼らの辛さに寄り添える人たちが一人でも多く生まれることである。
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