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「きみにエールを送りたい~揺れる時期に寄り添って~」⑦

 嘉手納アッセンブリー教会 神山 美由記

4月は花の季節ですね。新しい生活、新たな人生のステージに立つ人たちを祝福するかのごとく、色とりどりのかわいらしい花があちらこちらで咲いています。

昨年から始まったこの連載も気が付けば一年が経ち、6回にわたってこれを読んでくださっているユースの皆さん、またユースに関わっておられる大人の読者の方々に祈りを込めたエールを送らせていただく恵みにあずかりました。

私が思春期から大人にかけてひたすら孤独を感じながら悩んだこと、葛藤して苦しんだことが、一個人のプライベートな問題で終わることなく、今このような形で神様の栄光のために用いられていることを思うとき、すべての出来事を益と変えてくださる主の恵みを感じずにはいられません。

どういうわけか、あと一年この連載が続くことになりましたので、もうしばらくお付き合いくださいね。

さて、今年は早めに咲いた桜も散ってしまいましたが、みなさんはどのような心境でこの4月を迎えているでしょうか。

進学し、中学や高校、大学の入学式を控えてドキドキしている人、また一つ学年が上がり、新しいクラスに期待している人もいるでしょう。

こんなことを言うと、「信じられない」と言われるかもしれませんが、実は私、かなりの根暗で、そのうえ面倒くさがりやなので、学生当時、新しい環境に移るこの4月は心がザワつき、憂鬱で仕方ありませんでした。

「新しいクラスに馴染めるだろうか」、「担任の先生はどんな先生だろう」、「クラスのメンバーはどんな人たちがいるんだろう・・・。」他の人の2倍以上は不安で仕方なかったのを覚えています。とりわけ、心の大部分を占めていたその心配の矛先は「ちゃんと友達ができるだろうか」ということでした。

というのも、今からさかのぼること30年以上も前、小学校に入学したばかりの私は文字通りピカピカの一年生として小学校生活に期待を膨らましていました。

しかし、当時の自分の想像とは違い、初めての学校生活は緊張の連続。

小学校には幼稚園から一緒に過ごしていた幼馴染の三つ子の次女、「まきちゃん」もいて、登下校もそのまきちゃんをはじめ、近所のお友達6名ほどで楽しく通っていたはずなのに、なぜかうまくクラスに馴染めず、いじめられるようになり、そうこうしているうちに体調を崩して、入院することになってしまいました。診断結果は「胃潰瘍」。

こんな幼いうちからストレスを抱えるなんて・・・と親が悩んでいた姿を忘れることができません。

それからというもの、集団生活がどうも苦手で、新しい友達に囲まれた環境に移ることが大きなストレスとなりました。

だから、そのストレスを隠すかのようにわざと明るく振る舞い、聞き上手なふりをして無責任な相槌を打つようになってしまったのです。

当時は「どうやったら周りのお友達に受け入れられやすい自分になれるだろう」…無意識にそんなことばかり考えて立ち振る舞っていたように思います。

以前、友人に「みゆきちゃんの特技は“観察”でしょ。よく人の動きを見て何か考えているもんね。」と言われ、ハッとしたことがあります。そうだ、いつも私は人の表情や思いを汲み取ろうとして、先回りした行動や言動を取ろうとする。どうしたら相手は喜んでくれるだろうか、そんなことばかりを考えていると。

それ自体は決して悪いことではありませんが、その深層には昔の傷からくる「拒絶に対する恐れ」が存在していたのです。

みなさんはどうですか?新しい友達と何を話して、どう打ち解けていいのかわからなかったり、「クリスチャンって言ったら相手に引かれるかも」「飲み会に誘われたらどうしよう」・・・と不安を感じることがあるかもしれません。一人きりでクラスで過ごすことにならないために、かつての私のように、必死になってしまうことも、もしかしたらあるかもしれませんね。

私が神様を信じてクリスチャンになってから大きく変わったことは、自分が置かれた環境や周囲の人々は全て「神様が与えてくださった」と受け止めることができるようになったことです。大学生の頃、友人がヤベツの祈りに関する本をプレゼントしてくれて、自分自身の環境の祝福のために、よく祈るようになりました。

“「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。

御手が私とともにあってわざわいから遠ざけ、

私が痛みを覚えることのないようにしてください。」

神は彼の願ったことをかなえられた。“

             歴代誌第一4:10

その祈りを重ねる中で、神様は本当に私たちを愛してくださっていること。私たちを祝福したくてしょうがなくて、ウズウズしておられることを確信したのです。私たちを祝福してくださる神様に心を開いたとき、それまで自分の心を覆っていた不安の雲が一気に晴れていくのを感じました。

神様の祝福はあなたが通う教会だけで留まるものではなく、あなたの家庭、学校、部活動、塾、人間関係の隅々に及んでいくものです。自分が無理をして友達を作ろうと力まなくても、自分にとって最良の環境、最良の友人を神様が備えてくださっていると信じるときに、自然と肩の力が抜けて、自分らしく新しい人間関係を築くことができるようになるでしょう。

高校生の時も、大学生の時も、そして社会人になってからも、新しい環境の中で初めてできた友人には「私、クリスチャンで教会に行ってるねん。毎週日曜日の礼拝がとっても楽しみで・・・」と話すと、「えー、クリスチャンの友達は初めて。ねえ、お祈りとかするん?」「聖書はぜんぶ覚えているの?」とあるあるな会話から展開していき、「一度教会に行ってみたい」と自然と向こうから教会に興味を持ってくれるようになったものです。

また、たまに私がお祈りを忘れてお弁当を食べたりするものなら「ねえ、今お祈り忘れてたやろ。(笑)あかんやん!」と笑いながらツッコんでくれたりもしました。

自分の本来の姿を隠したり、変に背伸びしたりせずに、今のあなたのままで新しい環境に入っていくときに、神様はその環境の中で、あなたを理解し、一緒に笑って過ごせる良き友を与えてくださるでしょう。

周囲の反応に恐れていたかつての私、しかし神様のあたたかな愛の眼差しに照らされて、ゆっくりと心の蕾を膨らませ、遣わされた場所で、花を開くことができました。

さあ、みなさんも神様の光と愛を受けながら、私たち自身を咲かせてくださる主に信頼して新しいシーズンを歩んでいきましょうね。

新しい環境に向かう皆さんの祝福を祈りつつ、心からのエールをお送りしています。

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