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「きみにエールを送りたい~揺れる時期に寄り添って~」⑪

嘉手納アッセンブリー教会
神山 美由記

「この際、もうハッキリ言ってやりたい!」

 対人関係でストレスを感じるときに、こう思う人が多いのではないでしょうか。

 部活での上下関係や友人関係、家族に対して、自分の思いの丈を全部吐き出してしまいたいと思うことは誰にでもあると思います。実際私もそうでした。そして、そのフラストレーションは大人になっても続きます。

 サバサバした性格の人を見ると、「思ったことをどんどん口に出せる大人の方がかっこいい!」と錯覚することがあります。しかし、それは大きな間違いです。

 言ってスッキリした顔をしているのは、言葉を発したその本人だけで、言われた側、また、それを聞いている第三者までもが大きく傷付き、時には修復不可能な関係に陥ることさえあるのです。

 ですから、早く言ってスッキリしたいと思っているあなたにズバリ言いたいことは「それでうまくいくと思う?」ということです。

 また、感情的になって噴火のごとく言わなくとも、日頃、自分の口から出ている言葉がネガティブなものであったり、誰かの批判や悪口が多かったりすると、それもまた周囲の益とならないばかりか、自分自身の心身をも滅ぼし続けることになってしまうのです。

 私は一度知人に「みゆきちは、会話がとってもネガティブだよね。」と指摘されたことがありました。私からすると、その知人の方がネガティブな内容が多いように感じていたので、逆を突かれたことと、自分のことは自分自身が一番見えていないのかもしれないのでは、と客観性に欠けた自分の姿が露わになったことで二重のショックを受けたことを覚えています。

「舌も小さな器官ですが、大きなことを言って自慢します。
見なさい。あのように小さな火が、あのように大きな森を燃やします。
舌は火です。不義の世界です。
舌は私たちの諸器官の中にあってからだ全体を汚し、
人生の車輪を燃やして、ゲヘナの火によって焼かれます。」

                      ヤコブ3:5〜6

 不始末なたばこの吸い殻によって大きな火災に発展することがありますが、何気なく不用意に語ったことばがその人の人生や人格全体を滅ぼしてしまうこともあります。

 日本では失言によって失脚してしまう政治家、またお酒の勢いで言ってしまったことによって夫婦が離婚危機に追い込まれる話をよく聞きます。

よく通り魔事件で刃物を振り回したり、銃を乱射するニュースなどが世界や日本のニュースで流れたりするのですが、もしかしたら、自分が口に発していることばもあの映像のようになりかねないと思うのです。

つまり、何でも思ったことを言葉に発してしまうならば、それは知らず知らずのうちに人混みで凶器を振り回していることに等しいのだと。

思いがけないところで誰かにあたって、深い傷を負わせてしまうことになるのだと。

「舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています。
 わたしたちは舌で、父である主を賛美し、
 また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います。
 同じ口から賛美と呪いが出てくるのです。
 わたしの兄弟たち、
 このようなことがあってはなりません。」
                ヤコブの手紙3:8〜10

SNSなどで批判を書き込まれ続け、自殺に追い込まれた有名人を見るときに、まさしく言葉が「死をもたらす毒」であることを思います。

言葉は口頭で語られるときにそれ自体は目にも見えず、形に残ることもありません。

しかし、何十年、いや一生残る傷を相手に与えることもあるのです。

「大切なことだから、あなたのためを思って言っているのよ」

ただでさえ傷ついているその心に塩を刷り込むような追い討ちの一言で再起不能の状態に追い込まれたケースもよく聞きます。

ですからこれはユースも、そしてユースに関わる大人の私たちにもよくよく注意しなければならないことなのです。

そういう意味で、私も、一人の人間として、また牧師として誰かを傷つけてしまったことも多々あったのではないかと反省がつきません。

 しかし、言葉は毒だけではありません。解毒作用だってあります。

誰かの言葉によって傷つけられた心も、また他の誰かの言葉によって癒され、立ち上がる力を得ることだってあります。

私が救われて間もないころ、とても尊敬して慕っていたO教会のAちゃんが合同集会のときにそっと隣に座ってくれて、栞の裏にある御言葉を書いてプレゼントしてくれました。

残念ながらいただいた栞自体は無くしてしまいましたが(Aちゃん、ごめんね)、そこに記された御言葉は今も私の心の深い場所に刻まれています。

自分の思いや考えを伝えることは大切なことです。
しかしそれがどこで語られるべきなのか、タイミングは適切なのか、受け取る側はどう感じるだろうか、想像力をもって、吟味し、語っていただきたいのです。

私が大切な事柄を伝えるときに心がけていることは以下のことです。

①それが相手にとって本当に有益な言葉かを吟味する。

 単に自分の義を押し付けるものや、感情的にスッキリしたいがために伝えるのではなく、
 それが相手(や相手の信仰)を本当に活かすものであるかを考えます。

②感情的に言わない。

 ずっと心に秘めていた事柄を伝えるときは、怒りの感情が付いてきそうになります。
 しかし感情的に伝えた言葉は、その感情しか伝わりません。
 これはずっと昔にお世話になった方から教えられた大切な教訓です。
 自分の否定的な感情は楽屋に置いていき、愛を携えていきましょう。

③ネガティブなことだけではなく、ポジティブさも添えて。

 相手に何か注意をするとき、またやめてほしいことを伝えるとき、ネガティブなことだけを伝えるのではなく、相手の良いところも事前に見つけてそれを伝えましょう。
 そうすることで、自分自身が相手に対して公平な心で伝えることができるだけではなく、相手にとっても「この人は自分が嫌いで言っているわけではないのだ」と安心感をもたらせるのです。

あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味の効いたものであるようにしなさい。

                               コロサイ4:6

これを書きながら、本当に自分が塩気のある言葉を発しているか、神様の前に喜ばれる言葉となっているかと正直だんだん不安になってきた私です。
しかし、そう願い、祈りながら紡いでいく言葉に聖霊が働いてくださると信じる時に、ちょっと安心を取り戻してくる思いがします。

愛する皆さん、あなたの口から発せられるその言葉に、多くの人が慰められ、励まされ、立ち上がる力を得ていくことができますように。
皆さんの言葉一つ一つに神様の栄光が現され、祝福が流れていきますように、エールをこめてお祈りしています。  

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