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「きみにエールを送りたい~揺れる時期に寄り添って~」⑫

嘉手納アッセンブリー教会
神山 美由記

「自分は異性から選んでもらえないタイプの人間だと思う」

バリバリ仕事もこなし、容姿淡麗な女の子が自信無さげにそっと呟いた一言が忘れられません。

「えー、そんなことないよ。もっと自信持ってもいいのに。」と、せっかちな私はすぐにそんな言葉をかけそうになったのですが、これまでの彼女の人生史には自分の心にそう思わせてしまうプロセスが色々あったことを思います。

そして、そういえば自分も学生時代や20代前半は同じようなことで悩んだな。と思い出したのです。

 ユースの皆さん(あるいはこれを読んでいらっしゃるユースに関わる大人の皆さん)に思春期の脳について少しだけお話しさせてください。

簡潔に言うと、思春期の脳は、自意識過剰とも言えるほど、自我でパンパンです。

特に女の子のそれは激しいものです。がしかし、男子もそれを免れません・・・ただし男子は自我のありようが違うようです。

 女の子は特に自分の容姿に関することや、周囲に「愛されて、受け入れられているか」が最大の関心ごと。それを物語るのがプリクラの進化具合です!最新のプリクラの機種は加工うんぬんを超えて、もはや別人レベル…。でも教会の中高生たちに聞くとそれで良いのだそうです。本来の自分の姿よりも肌が白く、細く、目が大きく映る方が重要なのだと。

 しかし、男子の場合、無駄に強い正義感や執拗なまでに勝ち負けにこだわることに表出します。だから部活の試合、体育祭のリレー、スポーツ観戦などに全力投球できるのです。

ホルモンに伴うじっとしていられないような衝動性、グルグルと忙しい感情のコントロールが難しくとも、体育祭で思いっきり身体を動かすことで結構男子は発散できるものです。

 男女の表出の違いはあれど、どちらも、この思春期に最大限分泌されている生殖ホルモンのイタズラです。

女の子は排卵に関わる女性ホルモンの影響で、自分自身への関心が半端なく強くなり、いろんなことが気になって、大人からしたら些細なことに思えても人生最大とも言えるような心の傷を負うことだってあります。男の子は、男性ホルモン・テストステロンというものによって、野生動物かのような縄張り意識と闘争心に駆られます。また「ゴール思考」、すなわちどれだけやり遂げたかという“成果”にこだわったりもします。自分の正義で周囲を攻撃したくもなるし、目指したゴール(成果)を手に入れないと自分の存在価値を失ったような気にもなります。

 さて、少しでも当てはまると感じた人は、ちょっと意識してみてほしいのです。

このユース時代の「自分にスポットライトを当てる癖」がいつまでも残ってしまうと、大人になったその後も結構生きづらいぞ・・・ということに。

 これを書きながら、あるドラマのセリフを思い出していました。今から40年ほど前の「大草原の小さな家」というアメリカのドラマで、母親が思春期真っ只中の主人公ローラにかけたセリフです。

ローラには美人のお姉さんがいました。白く透明感のある肌、ふっくらとしたバスト、艶やかな髪…当然お姉さんは周囲の男子たちの憧れの的で、ローラが好意を抱く少年までが姉に心を奪われているように見えたのです。こうなるとローラも落ち着いてはいられません。美白ファンデーションを塗りたくり、バストに詰め物をしたりして、「加工」しだしたのです。なんともいじらしいでしょう。それを見ていた母親がローラにこう言いました。

「あなたが、あなたでないふりをしていたら、あなただけを愛する人は、どうやって、あなたを見つけたらいいの?」

読んでいて、泣きそうになりませんか?私はこれを書いている今も、泣きそうになるのです。

思春期の女の子の繊細で、つぶれそうになる心を優しくつつみあげる、こんなに完璧なセリフが他にあるでしょうか。

 実はこれと似たような、慰めに満ちたセリフを短大時代に後輩が言ってくれたことがありました。周囲は彼氏やメイク、新しい洋服や、ブランド物の話で持ちきりの大学時代。

流行には疎く、メイクやブランドにもさほど興味もない、かつ自分に自信のない私は冒頭の彼女のようなセリフをポロッとこぼしたのだと思います。(その辺りは記憶になし)そんな私に、クリスチャンでもあった短大の後輩“ともちん”は真剣にこう言ってくれました。

「センパイ、周囲を見て焦ることは一切ないですよ。センパイは、神様にモーレツに守られているんです。変な人に捕まらないように神様が守ってくださっているのが私には分かります。センパイは私から見てとても魅力的。だから将来、センパイには必ず素晴らしい人を神様から備えてくださるので、自信もって待っていたらいいですよ。」

 なんとも私の心をすべて見透かしたような…そして後輩とは到底思えない後輩ともちんの安心感に満ちたこのセリフ。彼女の言葉に当時だけではなく、その後も私はどれほど慰められたことでしょう。

それから約15年後、ともちんと私は同じ時期に結婚することになるのですが(現在彼女は在米韓国人の旦那様と米国在住)お互いに結婚式を控えた婚約中に大阪で再会した時、上記のセリフの話をすると、「ね、センパイ!だから言ったでしょう。」とニマニマしながら喜んでくれました。

 何人かのユースと話していると、少なからず誰もが「自分は選んでもらえないんじゃないか」という焦りと闘っているのを感じます。

また、相手の気を引くために、たくさんのプレゼントをしたり、金銭的、あるいは性的に搾取されても交際を続けてきたという女の子たちの話を聞くたびに、私はとても心を痛めます。

「これ以上、自分の価値を自分で下げるようなことはしないで。〇〇ちゃんは神様の前に尊い存在なんだよ。私から見てもじゅうぶん魅力的だよ。自分や周囲がその魅力に気づいてないだけ。」と言うと、ポロポロと涙をこぼしながらお互い泣くこともしばしば。

相手に拒否されるかもしれないと不安になって、自分の信仰に関しても話せない。相手に伝道できない。という話もよく聞きます。

もし、同じようなところで葛藤している人がいるとしたら、伝えたいことがあります。

いつかあなたのことをとても大切に想ってくれるパートナーが神様から与えられるんだよ、と…。

そして、あなたのことを本当に大切にしてくれる相手なら、神様を愛する信仰の姿も含めて愛してくれるよ、と…。あなたが一番大切にしていることを、相手も大切に守ってくれるはずだから、自分の信仰に関すること、性に関することを簡単に諦めたりしないでね、と。

私の大好きなナイトdeライトというバンドに「君はそれで素晴らしい」という曲があります。一部ですが、歌詞を抜粋します。

君はそれで素晴らしい!これこそが、聖書があなたに伝えたい最大の愛のメッセージです。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」

イザヤ書43:4

 まだ私たちが神様を知らず、罪を犯し続けていたときから、私たちに目を注ぎ、御子イエス様を犠牲にしてまでも十字架によって贖い、救い出してくださった神様。この神様の愛はどんなことがあってもあなた自身から失われるものではありません。祈れない日も、神様を裏切ったように感じる日でさえも、それでも愛されている。そして着飾ることのない、あなたをまるごと愛してくださっている。

これが、この連載の最後に私が皆さんに伝えたかったことです。

 好きな人が振り向いてくれなかったとしても、就職の面接で落ちたとしても、落ち込み続ける必要はありません。選ばれない人間だなんて思う必要はありません。

神様がまず私たちを愛してくださり、選んでくださったのですから。

落ち込みそうになったら、心のスポットライトを自分から神様に向けるのです。神様を見上げるときに、私たちは自分の姿に落ち込む必要はなくなります。私たちの敗北感や劣等感を覆ってあまりある神様の圧倒的な愛によって歩みましょう。

ダイアモンドの原石のようなユースの皆さんが、神様の愛で心をいっぱいにして、2024年も、いや、これから先も自信をもって歩み出していくことができるようにエールを送りつつ、お祈りしています。

(この連載は、これで終了となります。2年にわたってお読みくださった皆さんに心から感謝します。)

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