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「美しく、強く、しなやかに-イスラエルの女性たち-」 ⑦

アビガイル—聡明で美しい女性
(サムエル記上 25章)

ラウジー満世

中央聖書神学校教師

サクラ・キリスト伝道所牧師

 今年度も引き続き皆さんと一緒に旧約聖書時代のイスラエルの女性たちにフォーカスを当ててみ言葉を読む機会を与えられ、主に感謝します。旧約聖書に登場する女性たちは個性豊かです。とても共感することが出来て信仰者としてあこがれる女性もいれば、良いところも疑問なところも併せ持つ一筋縄ではいかない女性もいます。このように完ぺきではない人も含めて様々な女性たちの姿を見せてくれること、未熟な面も合わせてその人物を描いてくれているところが聖書の奥深さを表しているのではではないでしょうか。

 今回はサムエル記上25章に登場するアビガイルについて見ていきましょう。皆さんはアビガイルに好感を持つでしょうか、それとも戸惑いを感じるでしょうか。この章に書かれた彼女の人生を見ると、倫理的に抵抗を感じて戸惑うということも正直な反応でしょう。どうしてここでは彼女についてこれほどの紙面を割いて伝えているのでしょうか。少なくとも彼女について読むときに私たちは大切なことを思い起こします。それは、人は弱さも優れた賜物も併せ持つ存在であり、その人について疑問を感じる点だけに目を向けてその人のすべてを否定してはいけないということです。

 サムエル記上25章に書かれているのは、ダビデが既にサムエルから油を注がれていましたが、まだ王になる前の出来事です。当時はサウルが王であり、ダビデを殺そうと血眼で追いかけている時代でした。ダビデは逃亡生活を送りながらも人々の生活を守っていました。そんな時にダビデは大富豪のナバルのしもべと財産を守った見返りとして、少しばかりの財産を分けてほしいと願いました。しかしナバルはサウル王に追われている「ならず者」であるダビデの願いを無下に断り、侮辱します。ナバルの返事を聞いたダビデはすぐさま兵に武装を命じ、四百人ほどの兵を率いてナバルとの戦いへと出かけます。

 ナバルにはダビデが神に選ばれ、油注がれた者であることを見抜く知恵がなかったのです。ナバルという名には「愚か者」という意味があります。箴言や詩編などを読むと、愚かな人とはまさに神を知らぬ者、争いを起こす唇を持った者であったと分かります。ナバルは愚かな態度によって大変な危機を招きます。

 この事態に介入したのがナバルの妻、アビガイルでした。彼女はとても機転の利く女性でした。彼女は聡明で美しかった(25:3)のです。聡明で美しい女性と聞くと多くの女性たちは憧れますね。ここで忘れてはならないのは「美しさ」の本質です。彼女の顔立ちが整っていたというだけなのでしょうか?アビガイルが美しいと言われているこの言葉は、ダビデがかつてサムエルに油を注がれた時にもダビデを紹介する言葉としても使われています。ダビデも見た目が美しかったのです。アビガイルもダビデも人目を惹く魅力的な姿をしていたのでしょう。しかしこの美しいという言葉は、外面の美しさだけを指しているのだけではありません。それ以上に、アビガイルとダビデが神に祝福されていることを表しているのです。彼らと神様との関係が大変強く結ばれていることを伝えているのです。二人の美しさは彼らの心が神を畏れ、神を愛しており、神から愛されているという内面と霊性がその人となりに現われたものだったのです。

 ナバルが引き起こしたダビデの軍の襲来という危機を解決するために、神の祝福を得た知恵あるアビガイルが行動を起こしました。ナバルは愚かなのでしょうか?ナバルは多くの財産を持ち、多くの従者たちの主人でしたから、それなりに商才はあり、社会生活においても地位ある人として日常生活を送っていたのでしょう。しかし彼の愚かさは、現状ではサウル王に追われて逃げ惑っているダビデが、実はすでに王として神に選ばれ、油を注がれ、主の霊が激しく降っている(サムエル記上16:13)人であると理解できなかったことでした。主がダビデと共にあるという霊的現実に目が開かれていなかったことでした。「主を畏れることは知恵の初め」(箴言1:7, 9:10)であると箴言は語りますが、その知恵を持たないナバルは現状では逃亡者であるダビデを見て侮り、見下してしまったのです。

 一方でアビガイルは最初からダビデの足元にひれ伏し、「御主人様」(25:24)と呼びかけています。もちろんこれはダビデの怒りを鎮める為の呼びかけでもあったでしょう。しかし彼女は最初からダビデが神に選ばれて油注がれた者であり、次の王となる人であることを見抜いて尊敬しているようです。神を知る知恵に満ちた人は神のご計画を知り、神に立てられた人を敬う分別を持っていたのです。

ダビデのもとを訪れるアビガイル 

 アビガイルはどのような女性であったか―彼女は神を畏れ、神を知る知恵に満ちた人であり、神の祝福を得た現われとしての美しさをもった人でした。男性だから、女性だからという視点ではなく、神に作られた人間が神を求め、神を知り、霊的な洞察力と分別をもって生きる時に神の守りがあることをアビガイルは表しています。

 主イエス・キリストの死と復活によって私たちは神のもとに帰ることが出来ました。神を知る知識を与えられています。さらに深く神を知ることを求めることが出来ます。アビガイルのように聡明で美しい人として整えて下さい、と祈りながら神様と共に今日も進んで行きましょう。

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