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「美しく、強く、しなやかに-イスラエルの女性たち-」 ⑩

- タマル -
大胆に正義をつらぬいた女性
(創世記38章)

ラウジー満世

中央聖書神学校教師

サクラ・キリスト伝道所牧師

 創世記にはアブラハム、ヤコブと続く族長たちが神と歩んだ生涯について書かれています。ヤコブに続く世代がやがて12部族の長となりますが、その中にユダがいました。ユダと言えばあのダビデ王が生まれた家系です。ユダの長男に嫁いだ女性がタマルです。タマルは創世記38章に登場しますが、創世記を順に読み進めていくと、この38章だけ話の流れがせき止められてしまいます。37章まではヤコブの子ヨセフの話が進んでおり、39章で再びヨセフに戻るのですが、38章だけはなぜかタマルのことが詳しく語られるのです。

 タマルの名はマタイ1章にもあります。クリスマスの時季には主イエスの家系が書かれているこの章に触れる機会も増えるかもしれません。この主イエスに至る家系図の中に彼女の名があります。ここに名が記されるほどの女性とは、どれほどの偉業を成し遂げた、完璧な女性だろうかと期待が膨らみます。しかしタマルの話は読んでいて少し居心地の悪さを感じる、と言うか、これは神の目に正しいことなのだろうか?と驚かされるのです。

 タマルは何をしたのでしょうか?タマルはユダの長男のエルと結婚しましたが、子が生まれる前に夫が亡くなりました。当時、兄弟のいる男性が子を残さずに亡くなった場合、残された妻は家族以外の者に嫁ぐことは禁じられていました。亡き夫の兄弟と結婚して子をなし、生まれた子に亡き夫の名を継がせなければならないという定めがありました(申命記25:5-6)。ですからタマルの夫が亡くなった時、舅ユダは次男のオナンをタマルの夫としました。しかしオナンは主の御心に背き、彼も命を落としたのです。ユダは三男をタマルに与えなければならなかったのですが、三男をも失うことを恐れて、タマルには与えませんでした。

 ユダの行為は定めに背くものでした。本来は町の門で公にされなければならない不正でした(申命記25:7-10)。しかしユダは巧妙にタマルを言いくるめて、三男が成人するまでという口実でタマルを実家に帰してしまいました。タマルは義父の罪ゆえに自分の権利が侵害され、不当な扱いを受けていると確信した後でも、社会的に立場の弱い女性として声を上げることができなかったのでしょう。もしかしたら当時、多くの女性が形は違ってもこのような口惜しさと怒りと痛みを感じていても泣き寝入りせざるを得なかったのかもしれません。人知れず神に訴え、涙を流したかもしれません。

 それでもタマルは自分の権利を理解し、また神の前に不義が行われていることを確信しました。そして大胆な行動に出ました。ある日、ユダが遠くへ出かけることを知りました。自分の身を明かさずに神殿娼婦に成りすまし、ユダによって身ごもり、夫の名を残せるかもしれないチャンスが来たのです。彼女は大胆にかつ賢く振舞いました。自分の身を明かさぬままに、確かにこの夜をユダと一夜を過ごしました。さらにこの男性がユダだという後になって言い逃れが出来ない、動かぬ証拠まで手に入れ、夫の名を残すための子を身ごもったのです。

 何と大胆な、びっくりするような行動でしょうか。クリスチャンとして道徳的にどう受け止めていいかと戸惑いますね。でも聖書ではタマルは非難されていません。それどころか、彼女の名はダビデを経て主イエスに至る家系にまで記されているのです。この件に関しては、神は彼女の大胆な義を求める行為を受け入れて下さいました。それは彼女が自分の利益と感情だけのために行動したからではなく、神の定めの中に生きる共同体において正しさを求めたからです。驚くべきタマルの行動は、当時の定めにおいて正しいものであり、神殿娼婦の身なりをして道に座ったのも、誰でも良い相手ではなく、彼女が正当に許された立場の人との関係において行われたことだったからです。

 ユダも事の経緯を知った時に、タマルの方が正しいと認め、自分が三男を惜しんで与えなかったことが罪であったと認めたのです。タマルはこの時に身ごもった双子を出産しました。神は彼女の罪を咎めることはなく、祝福を与え、当時の社会の定めに従って夫の家を継がせられたのです。

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