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「美しく、強く、しなやかに-イスラエルの女性たち-」 ⑫

- 亡き預言者の妻 -
夫の信仰の足跡をたどった女性
(列王記下4章1節~7節)

ラウジー満世

中央聖書神学校教師

サクラ・キリスト伝道所牧師

 「イスラエルの女性たち」シリーズでは既に11人の旧約聖書に登場する女性たちの姿を見てきました。一人一人の個性や生き方に違いがあります。大胆さや強さ、時にはしたたかさに驚きつつも、多様な人生を生きる一人一人を神様が愛して喜んでくださり、それぞれの人生を、責任をもって導いてくださっていることを見てきました。多様な女性たちを見る時に、私たちも今の時代に神が生かしてくださった、個性あふれる一人として主に愛されていることに感動します。
 今日はいよいよ12人目の女性の姿を追っていきます。彼女も名前が記されていないほど社会的には取るに足りない存在でした。

 イスラエルが北王国と南王国に分裂してから90年ほど経った頃、一人の女性が居ました。彼女は夫を亡くし、子どもたちを抱えながら生活も苦しく、借金がありました。当時のイスラエルでは経済的困窮が重なり、借金を返済できずに奴隷になる人々がいました(出エジプト記21:7-11などに負債のために奴隷とされることに関する定めが書かれています)。ヘブライ人奴隷は6年間働いた後、7年目には解放されます(出エジプト記21:2-4、申命記15:12-)。しかし夫を亡くした女性にとって、子どもたちとの生活を思えば、数年であっても奴隷となることは耐え難い苦しみだったでしょう。

 聖書には彼女の名は記されていません。彼女について知り得るのは亡き夫が預言者エリシャの仲間の一人だったということだけです。夫はエリシャと共に働いていただけではなく、心から主を畏れ敬う人―天地を造られ、イスラエルを導く神を心から信じ、あがめ、仕えた人―だったのです。残された妻はエリシャに窮状を訴えて助けを求めました。淡々と状況を伝える彼女の言葉からは最後の望みを託した隠された叫びが聞こえて来るようです。あえて言葉にするなら“私の夫はエリシャさん、あなたの仲間だったんですよ。彼は心から神を信じて神に仕えていたでしょう?なのにその家族が残され、負債のために奴隷にならなければならいほど悲惨なのです。何とかしてください!”というほどだったでしょう。

 エリシャは「何をしてあげられるだろうか。あなたの家に何があるのか言いなさい」(4:2)と答えます。社会的保護も経済的基盤も失い、子どもを抱えて途方に暮れる彼女に対して、エリシャの答えは淡々としています。さらにできる限り空の壺を集めなさいと言葉で指示しただけでした。困窮した者が最後の望みを託して助けを求めた時にはもう指一本動かす気力も残っていなかったでしょう。そんな時に欲しいのは「あれをしなさい、これをしなさい」という命令ではなく、ただ暖かい食べ物を差し出してもらうことかもしれません。まずホッとしたいでしょう。ましてやエリシャですから、神の奇蹟を期待します。

 しかし彼女はエリシャの指示通りに近所の家からできるだけ多くのからの壺を集めてきました。簡単なように見えますが、神に仕えていた夫が亡くなってしまい、その後子どもと自分の生活苦に打ちのめされていた彼女にとっては大変な仕事でした。それでも不平を言わず、なぜそんなことをしなければならないのかと納得する説明も求めず、ただエリシャの指示に従ったのです。

 なぜでしょうか。神に仕えた夫を身近に見てきた彼女自身が、神への信仰と信頼を持っていたからでしょう。夫が共に働くエリシャが偉大な神の僕であり、神がエリシャを通して助けて下さると確信していたからでしょう。

 何の疑問もはさまず、不平も漏らさずに淡々とエリシャの言葉に従い、家の中に残っているたった一つの油の壺からかき集めてきた器に注ぐと、空の器がある限り油が壺から湧き出て次々に器を満たしていくのです。もともと自分蓄えていた油を他の器に移し替えるのなら何の不思議もありませんが、明らかに壺の中にはなかった量の油が次々と湧き出て器を満たしていく。静かな動作の中に湧き上がる喜びと驚きと感謝と神への畏れがありました。心の中で神に感謝し、賛美が湧き上がっていたことでしょう。

 準備された器がすべて満たされた時、空の器はもう他にないことを子どもから知らされると、そこで油は止まりました。しかし「ああ、油が止まってしまった。もったいない。」と嘆く必要はないのです。なぜならエリシャが「その油を売りに行き、負債を払いなさい。あなたと子供たちはその残りで生活していくことができる。」(列王記下4:7)と言う通り、彼女の必要は満たされ、求めた助けに答えが与えられ、経済的困窮は神の恵みの御業によって解決されたからです。

 この女性は預言者であった夫が健在だったときに夫の信仰と同じ信仰に固く立って神の働き人である夫を支えました。夫が亡くなってからも子どもたちの世話をしながら日々生活を守ろうと必死で頑張りましたが、ついに自分の力でどうにもならなくなった時に、神への信仰を奮い立たせてエリシャに助けを求めました。神は主の働き人を陰ながら支える一人の女性の姿を目に留めておられ、夫が亡くなってからも彼女と子供たちを確かに守ってくださったのです。

 この女性の名が記されていないように、当時神に仕えた預言者たちの妻や家族は社会において記憶されず、賞賛を受けず、ある社会的には報われない人生でした。しかし、神は主の働き人の影で彼らを支える多くの信仰者、家族、友人の姿を目に留め、彼らの影の支えがあって主に仕える預言者が存分に務めをなすことが出来ていることを覚えて下さっています。

 社会に認められるような表舞台に立つ神の働き人は人々から労ってもらえます。しかしそれを陰ながら支えているのに誰にも感謝されない家族や信仰者をも主が喜んでくださっています。もし今あなたが、陰ながら主の働き人を支えている方の一人であり、自分は報われないと落胆しておられるなら、そんな必要はありません。神様は隠れた働きをしっかりと見て、喜んでくださっています。神様は表に立つ働き人の信仰を通して、あなたの信仰も強めて下さっています。そしていざという時に真の神に叫び求める力を蓄えて下さっています。

 常に神様を喜び、置かれたところで、与えられた主の働きを、感謝をもって積み重ねていきましょう。神様の恵みが豊かに注がれ、皆さんが神の祝福を日々実感しながら歩めますように、お祈りします。

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