過去2回に渡って、20世紀初頭に始まったペンテコステ・カリスマ運動が、100年以上経った今も何故成長し続けているかという理由と、そしてペンテコステ教会の人たちの聖書の読み方について考えてきました。
最後となった今回は、このペンテコステ・カリスマ運動の使命についてみていきましょう。
- 1.宣教という使命
- 私は神学生によくこのようなことを言います。「ペンテコステだけが真理を知っているとか、真理を持っていると考えるなら、それは傲慢で間違いです。他の教団教派にも当然真理はあります。しかし、私は神様がペンテコステ運動に与えられた使命のようなものがあると信じています。それは宣教(国内外問わず)です。もし私たちがこの使命を失ってしまったら、神様は速やかに地の片隅から別の小さな群れを起こし、ご自身の目的を進めようとなさるでしょう」と。勿論他の教派には宣教の使命がないと言っているわけではありません。しかしこの運動が始まったきっかけを考えると、極めて宣教に特化したものであったことは間違いありません。私たちにとって大切なことは、ペンテコステという名前の組織が残ることではなく、神様からいただいた使命を失わずに、果たしていくことだと信じています。
- 2.ペンテコステ信仰の三位一体
- 私が「ペンテコステ信仰の三位一体」と名づけている図があります。
20世紀の到来を前にして、「イエス様がお戻りになる日が近い」と感じた多くの人たちがいました。彼らはイエス様が来られるその前に、世界中にいるまだイエス様を知らない一人でも多くの人に福音を伝えなければと思いました。彼らはどうしたら世界宣教の業が力強く進むだろうかと聖書を調べ、その鍵は使徒の働きに記されている異言を伴う聖霊のバプテスマだということを(再)発見しました。果たして彼らが求めるとおりに、初代教会の弟子たちと同じ体験をするようになりました。この体験をした人たちは、これはまさしくヨエルが預言した「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ(ヨエル2:28)」の成就であり、ますます主の再臨が近いことを確信したのです。
このように図の3要素は「主が再びお出でになるという信仰」が福音を伝えるという「宣教の動機」となり、そのために証人となる力である「聖霊のバプテスマの体験を求める」というように切り離すことのできないものなのです。
私たちにとって、聖霊のバプテスマの体験はとても大切なものですが、本来は単独で存在するものではなく、再臨信仰と宣教の必要という信仰があってこそ、成立するものだということを忘れないようにしましょう。また、この運動は1980年代あたりから、「教会成長」という概念を生み出しました。多くの人が、ペンテコステ・カリスマ教会が大きく成長していることに注目するようになりました。私はこのことを否定するものではありませんが、本来のペンテコステ運動の本質は、自分の教会を大きくする教会成長ではなく、再臨信仰に基づいた世界宣教です。主ご自身が「人の子(キリスト)は思いがけない時に来る」(マタイ24:44)と予告された言葉を信じ、いつ主が来られても良いように備え、福音の種を蒔き続けるという使命が与えられているのです。
- 3.世界的視野を持つ信仰者へ
- 宣教の担い手は、一部の限られた牧師、伝道師だけではありません。主から聖霊を注がれたすべての信仰者たちです。私はよく「ペンテコステ運動は全員参加の草の根運動」だと言っています。「神の霊に満たされた者は、神に仕え、神の言葉を語る」という単純で、しかし力強い信仰がこの運動を100年以上支えてきました。どうかこれからも、皆様が所属する教会を愛し、牧師たちを助け、家庭、職場、学校、地域社会で神様から委ねられた宣教の働きを担ってください。
そして世界的な視野を持つ信仰者となりましょう。ペンテコステ運動は偉大な「宣教師派遣運動」です。イエス様が来られる日までに、一人でも多くの人が福音を聞き、新しい命に至るように、これからも私たちの教団から海外に送り出されている宣教師たちのために祈りましょう。また、新たな宣教師が送り出されるように祈りましょう。神様から託されているこのペンテコステ運動の使命を皆で担ってまいりましょう。
「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
マタイの福音書 28章 19-20節
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