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「日本語になった聖書の言葉」⑪


第11回

「汝の敵を愛せよ」

堀川 寛 三滝グリーンチャペル牧師

 今日の言葉は、日本人にとって最も馴染みのある聖書の言葉かもしれません。「汝」なんて言葉はとっくの昔に使われなくなりましたが、この言葉を引用する時、私たちは間違いなく「あなたの敵」とは言わず、「汝の敵」と言うのですから不思議です。それぐらい、この言葉は当時の日本人にとって-そして今でも-、強烈なインパクトを与えたのです。

 「故事ことわざ辞典」はこの言葉を次のように説明しています。

『新約聖書』マタイによる福音書第五章・ルカによる福音書第六章にあることば。自分の敵は憎むものだという世間の常識に対して、イエス・キリストは「自分を愛してくれる人を愛することは、誰にでもできる。悪意をもって自分を迫害する者にこそ、慈愛をもって接しなければならない」と戒めた。

 なかなか上手な説明ですが、私としては、最後の「『慈愛をもって接しなければならない』と戒めた」という部分が気になります。その理由は後述するとして、「汝の敵を愛せよ」の原文をその前後を含めて読んでみましょう。

 「なんぢの隣(となり)を愛し、なんぢの仇(あだ)を憎むべし」と云へることあるを汝等きけり。されど我は汝らに告ぐ、汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ。これ天にいます汝らの父の子とならん爲なり。天の父は、その日を惡しき者のうへにも善き者のうへにも昇らせ、雨を正しき者にも正しからぬ者にも降らせ給ふなり。なんぢら己を愛する者を愛すとも何の報をか得べき、取税人も然(しか)するにあらずや。兄弟にのみ挨拶すとも何の勝ることかある、異邦人も然するにあらずや。さらば汝らの天の父の全きが如く、汝らも全かれ。 」 マタイ福音書5書43~48節(文語訳/大正訳)

 お気づきになりましたか?原文には「敵」ではなく「仇(あだ)」と書いてあるのです。「仇」なんて言葉はほとんど死語ですが、「仇討ち」とか「商売仇(敵とも書く)」という言葉の中にかすかに残っています。「敵」と「仇」は基本的に同じような意味ですが、「親の仇」という使われ方が示すように、「仇」にはより個人的で深刻な敵愾心が感じられます。原語の“エクスロス”は、「憎悪」という名詞ですから、「敵」より「仇」の方が原文には近い訳語かもしれません。口語訳からは「敵(てき)」と訳されるようになったので、前半(汝)は文語訳、後半(敵)は口語訳というミックス聖句が生まれてしまったのです。

 そんなことはさておき、この教えは強烈です。世界中どこを探しても、こんなふざけた?教えは見当たりません。そもそも愛せないから「敵」なのに、どうして「敵」を愛することなんかできるでしょう。でもキリストは、自分を愛してくれる人を愛するのは当たり前。そんなことは取税人だってやっている、と断じます。天の父は悪い者の上にも、善い者の上にも公平に雨を降らせるではないか、だから、天の父のようになりたいのなら、すべての人を公平に愛さなければならない、と言い放たれるのです。

 確かにおっしゃるとおりです。しかし私たちは心狭き罪人で、天の父には近づくことすらできない虫けらのようなものです。どうして「仇(かたき)」を愛することができるでしょう。誰もがそう思うところですが、ここでちょっと立ち止まって、もう一度「愛する」という言葉の意味について考えてみましょう。この箇所で使われている「愛する」はもちろん“アガベー”です。アガベーは無条件の犠牲を意味する言葉ですが、「好意を抱く」という意味は含んでいないのです。平たく言えば、好きでなくても愛することはできるのです。キリストは「愛しなさい」、つまり行動しなさいと命じられています。大嫌いなヤツでも、親の仇でも、子の仇でも、殺したいほど憎い相手でも、そうではない隣人と同じように扱い、犠牲を払いなさい、と教えておられるのです。

 イエス・キリストは有言実行です。
彼は、私たちのために、命を捨てて下さいました。
パウロは、「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」(ローマ5:8)と説明しています。「罪人であった」とは、神に敵対してた、つまり神の仇であったという意味です。

 最後に、冒頭で紹介した「故事ことわざ辞典」の説明文に戻りましょう。「イエス・キリストは…慈愛をもって接しなければならない、と戒めた」と解説しています。「慈愛」とは、「親が子供をいつくしみ、かわいがるような、深い愛情」(goo辞書)を意味します。「慈愛」の「慈」は仏教に由来する言葉です。イエス・キリストは敵を慈しみ、かわいがれとは言われていません。命がけで愛せよと言われたのです。私はこの教えを「愛の復讐」だと理解しています。

執筆者紹介

堀川 寛 
三滝グリーンチャペル牧師
中央聖書神学校 学監

広島県スクールカウンセラー
臨床心理士
公認心理師
不登校児のためのフリースクール主催(1997~2000年)
ひきこもり状態にある方々の支援(2008年~)
パソコン聖書ソフト「J-ばいぶる」の開発

妻と息子二人と犬一匹(チワワ)
趣味:ゴルフ・スキー・チェロ・落語鑑賞など

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