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「聖霊の炎を掲げて」Season1
聖霊の炎を掲げて⑫
戦後の日本アッセンブリー教団の設立と中央聖書学校の設立の陰の立役者だったのは英国人のジョン・クレメント夫妻です。彼らは戦前英国アッセンブリー教団の宣教師として東京で7年半活動しましたが、戦後は米国アッセンブリー教団宣教師団議長として再来日し7年間滞在します。もしも1949年1月末のクレメント夫妻の来日がなければ、日本アッセンブリー教団の設立は遅れていたかもしれません。 -
「聖霊の炎を掲げて」Season1
聖霊の炎を掲げて⑪
戦前の日本アッセンブリー教団の前身の団体の聖書学校の一つに弓山喜代馬が滝野川教会(現 神召キリスト教会)内に開校した聖霊神学院があります。 -
「聖霊の炎を掲げて」Season1
聖霊の炎を掲げて⑩
戦前の日本のキリスト教界では英国人のウィリアム・テーラーの妻のメアリー夫人が日本のペンテコステ運動の開祖と考えられていました。 -
「聖霊の炎を掲げて」Season1
聖霊の炎を掲げて⑨
非ペンテコステ派の教会の中で最初にペンテコステ派に加わったのは大阪の粉濱基督教会(現 大阪中央福音教会)です。その時の牧師がホーリネス派出身の上井乙熊、そして戦後になって牧師に招聘されたのもホーリネス派出身の川崎一でした。 -
「聖霊の炎を掲げて」Season1
聖霊の炎を掲げて⑧
戦前の日本で親子で宣教活動に従事した宣教師家族が幾つかあります。その一つがオーストラリアから来日したスミス一家です。まだ幼い子供たちが日本語をマスターし、日本語のおぼつかない壮年の父母を支えて諸集会で通訳者として立ちます。彼らは「子供宣教師」とも呼ばれました。 -
「聖霊の炎を掲げて」Season1
聖霊の炎を掲げて⑦
日本からのカナダへの移民は1870年代に始まり、…1921年にバンクーバー周辺でペンテコステ・リバイバルが起きると、プリンス・ルパートの日本人クリスチャンの中にも聖霊体験をする人たちが与えられるようになります。 -
「聖霊の炎を掲げて」Season1
聖霊の炎を掲げて⑥
韓国アッセンブリー教団の前身である朝鮮五旬節教団の礎を築いたのは五人の外国人婦人宣教師と三人の朝鮮人伝道師だったと言われます。…このうちのメアリー・ラムゼイ、朴聖山、裵富根の三人は朝鮮で活動する前に日本で活動していました。このコラムではこの三人を取り上げます。 -
「聖霊の炎を掲げて」Season1
聖霊の炎を掲げて⑤
日本の初期ペンテコステ運動を担った人たちの中でもその背景が異色な人の一人が沖千代です。彼女は38歳で伝道者として立ち上がり、戦争中に空襲で教会堂を消失しますが敗戦後63歳で再起し、1949年3月の日本アッセンブリー教団創立総会に創立メンバーとして参加します。 -
「聖霊の炎を掲げて」Season1
聖霊の炎を掲げて④
戦前の日本アッセンブリー教団の前身である日本聖書教会に所属した男性教職の中での伊藤智留吉(横浜教会)、小川裕(京都北野教会)、丸山栄(名古屋教会)、坂本亀蔵(神召教会)の4名が戦死します。このコラムでは丸山栄と琴夫人について取りあげます。 -
「聖霊の炎を掲げて」Season1
聖霊の炎を掲げて③
102歳の長寿を全うし半世紀に及び日本アッセンブリー教団と中央聖書神学校を導いた弓山喜代馬先生の足跡はとても大きいものです。・・・・・・しかし弓山先生が生前に語られた断片的な証言にも齟齬があり、未だに多くのミッシング・ピースが残されたままです。そのため弓山先生の前半生を正確に描き出すことは難しくこの小文は一つの試みにしか過ぎません。
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