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「日本語になった聖書の言葉」
「日本語になった聖書の言葉」⑧
今日取り上げる「日本語になった聖書の言葉」は、聖書に起源があることをほとんど知られていないと思われます。実は子どもの頃から聖書に親しんできた筆者自身も、この言葉の起源が聖書にあると知ったのは大人になってからのことでした。 -
「日本語になった聖書の言葉」
「日本語になった聖書の言葉」⑦
今日取り上げる「狭き門」という言葉は、その出自が聖書であることが忘れ去られるほど見事に日本語になった言葉と言えます。「『狭き門』は、キリスト教で天国に至ることが困難であることを例えたことば。転じて、入学試験や就職試験など、競争相手が多くて突破するのがむずかしいことのたとえ」だと「故事ことわざ辞典」には説明されています。 -
「日本語になった聖書の言葉」
「日本語になった聖書の言葉」⑥
今まで分からなかったことが急に理解できるようになったとき、「目から鱗」、あるいは「目から鱗が落ちた」と思わず言ってしまいますが、この言葉が聖書に由来していることを知っている人は多くありません。実は私の教会でこの話をしたとき、「それは知りませんでした。目から鱗です!」と、若干間違った使い方をしつつも、はじめて聞いたリアクションをした人がおられました。もちろんご存じの方もおられることでしょうが、今日はこの言葉のルーツについてお話ししましょう。 -
「日本語になった聖書の言葉」
「日本語になった聖書の言葉」④
聖書の言葉と同様、賛美歌も日本の文化に強い影響を与えたと言われています。特に、明治から大正時代に生まれたいわゆる「唱歌」は、賛美歌があったからこそ生まれた音楽だったとこの分野のオーソリティである安田寛氏は述べています。中でも最も有名なのは「シャボン玉飛んだ」だろうと思います。 -
「日本語になった聖書の言葉」
「日本語になった聖書の言葉」④
これまでこのコラムではおそらく明治時代に日本人によく知られるようになった聖書の言葉を取り上げてきましたが、今日は少し趣向を変えて、最近よく耳にするようになった言葉を取り上げたいと思います。それは「神様は乗り越えられない試練は与えない」という言葉です。 -
「日本語になった聖書の言葉」
「日本語になった聖書の言葉」③
国際NGO「オックスファム・インターナショナル」は、「働かない者には食べる資格はない」という意味で、怠けている人たちを戒める聖書発祥の言葉として使われます。確かに、新約聖書の『テサロニケの信徒への手紙二』3章10節にそのような表現の言葉がありますが、実際の聖書には以下のように記されています。古い翻訳から並べてみましょう。 -
「日本語になった聖書の言葉」
「日本語になった聖書の言葉」②
「目には目を歯には歯を」という言葉は、「やられたらやり返せ」、つまり復讐を正当化する言葉として使われます。もちろん聖書の言葉(旧約聖書の法律)ですが、実は他にも似たような法律を見出すことができます。一つは紀元前18世紀頃の「ハンムラビ法典」です。これは、古代バビロンの最初の王であったハンムラビによるもので、その中に「受けた害以上の復讐をしてはならない」という決まりがあるそうです。 -
「日本語になった聖書の言葉」
「日本語になった聖書の言葉」①
長い鎖国の後、再びこの国にキリスト教の宣教が始まって(キリスト教禁制の高札を撤去1873年)150年近く経とうとしています。残念ながらクリスチャン人口は増えてゆかないのですが、この国の文化として根付いたものもあります。
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