精神科医の岡田尊司氏による「発達障害~「グレーゾーン」 その正しい理解と克服法~」という本が今年2月に発売され、10万部を超えるヒットとなっている。これまでも発達障害の「グレーゾーン」について話題にはなっていたが、この領域のエキスパートによる書き下ろしということで私も早速読ませていただいた。内容については後述するが、大変興味深いものであった。
発達障害のグレーゾーンについて説明する前に、グレーゾーンではない、つまり「黒(あまり良い響きではないが…)」すなわち発達障害であるという診断がどのようにして下されるのかを説明しておこう。現在、ほとんどの医療機関で診断に使われているのは、アメリカ精神医学会が出している「DSM-5」(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders 第5版/2014年)*である。今回はASD(自閉症スペクトラム症)とADHD(注意欠陥多動症)の診断基準を紹介しよう。
以下の4つを満たしている場合、ASDと診断される。
- 1.社会でのコミュニケーションや対人交流の持続的な障害
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- A) 社会での情緒的な相互交流の障害
- B) 社会的交流における非言語コミュニケーション行動の障害
- C) 人間関係を築いて保ち理解することの障害
- 2.限られた反復されるパターンの行動や興味、活動(以下の項目のうち少なくとも2つに当てはまる)
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- A) 型にはまった体の動き、物の使用や発話
- B) 同一性へのこだわり、決まった手順への融通の利かない固執、儀式化された言語もしくは非言語行動パターン
- C) 集中の深さや狭さが一般的でないほど非常に限られている大変強い興味・関心
- D) 感覚入力に対しての反応性の過度の上昇もしくは低下、もしくは周囲の環境の感覚的側面に対しての並外れた興味
- A) 型にはまった体の動き、物の使用や発話
- 3.症状は早期の発達段階までに発現していなければならない(が、社会的な要求が限られた能力を超えるまで全てが現れないかもしれない。もしくは後天的に学んだ対処法で見えなくなっているかもしれない。)
- 4.症状によって社会や職業またはその他の重要な分野で臨床的に重大な機能障害が起こっている。
ADHDの診断基準は少し複雑です
- 以下の「不注意症状」の内該当するものが6個(17歳以上では5個)以上あり、しばしば6ヶ月以上にわたって持続していること
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- 細部に注意を払うことができず、ケアレスミスをしやすい
- 仕事や遊びの最中に注意を持続することが困難
- 上の空・注意散漫で、話をきちんと聞いていないように見える
- 指示に従えず、課題を最後までやり遂げることができない
- 課題や活動を順序立てて整理することができない
- 精神的努力の持続を必要とする課題に取り組むことを嫌う
- 課題や活動に必要なものを紛失する
- 外部からの刺激で容易く注意散漫となる
- 日常生活においてもの忘れが多い
- 以下の「多動性・衝動性」の内該当するものが6個(17歳以上では5個)以上あり、しばしば6ヶ月以上にわたって持続していること
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- 手足をそわそわと動かしたり、身をよじったりすることが多い
- 着席が期待されている場面で離席する
- 不適切な状況で走り回ったり高いところに登ったりする
- 静かに遊ぶことが困難
- 衝動に駆られて動かされているような行動が多く、じっとしていられない
- 過度にしゃべりすぎる
- 質問が終わる前に衝動的に答え始める
- 順番を待てない・待つことが苦手
- 他者の邪魔をしたり、遮ったり割り込んだりする
- 上記該当の症状のいくつかが12歳前に見られること
- 上記該当の症状のいくつかが2つ以上の環境(学校・職場・家庭・社交の場など)で見られること
- 症状により社会・学業・職業機能が妨げられていること
- これらの障害が、統合失調症や他の精神疾患によるものではないこと
長々と引用したが、ほとんどの医療機関で上記の診断基準を用いて発達障害(ASDとADHD)の診断を行っている。読んでお分かりのように、これらの診断基準は非常に曖昧である。「社会での情緒的な相互交流の障害」があるかどうか、どう判断するのだろうか?本人に尋ねたら、問題ないと答え、家族や知人に尋ねたら、全然上手く行かない、と答えるかもしれない。「外部からの刺激で容易く注意散漫となるか」と問われたら、多くの人は私もそうだ、と答えるだろう。診断する側は、本人のことをほとんど知らないので、あくまでも本人や親の申告に頼らざるを得ず(家庭センターなどでは長期にわたって観察して診断する場合もある)、“客観的”な診断を下すことは難しい。知能検査(WISC/WAIS)を同時に行うことが多いが、発達や能力の偏りを知ることができても、発達障害であるかどうか診断することは難しい(本来の検査の目的ではない)。
診断する側の心理としては、「障害」というレッテルを貼ることは簡単ではない。その子、あるいはその人の人生の路線をある程度方向付けることになるからだ。なので、明らかに診断基準を満たすと確信できない限り、障害認定には至らず、「グレーゾーン」に止まるのである。発達障害の「グレーゾーン」が多いのはその辺りに原因がある。
ここで、冒頭で紹介した岡田氏の書籍の中から、印象的な見出しを紹介しよう。
- 本当のADHDより生きづらい疑似ADHD
- 様子だけ見ていると悪化する恐れも
- グレーゾーンは愛着や心の傷を抱えたケースが多い
- グレーゾーンで大切なのは診断よりも特性への理解
- 十年後には診断がガラリと変わる
興味を持たれた方は是非購入して読んでいただきたい。私の少ない経験から言っても、発達障害の診断は下りていないが、かなり重度な発達障害的傾向を持っている人、つまりグレーゾーンの人は、診断が下りている人の何倍もいて、本人も周囲の人々も様々な生き辛さを抱えている。さらなる理解と支援の広がりを願う。
- 他に世界保健機関(WHO)の「国際疾病分類 第11回改訂版」(ICD-11)がある
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コメント一覧 (2件)
難解でした。診断して対応が的確にできるのであればきっちり診断しなくてはならないのでしょうが、著者が述べているように「グレーゾーンで大切なのは診断よりも特性への理解」との提言は、さまざまな特性をお持ちの方に対する姿勢として持つべきものと思い、共感をおぼえました。 堀川先生の著作「心の時代のキリスト教」を銀座教文館で求めて拝読しました。十分ではないかもしれませんが、それなりに理解できました。クリスチャンの信仰にこのような知識を併せ持つことで良き隣人になれる、と思いました。何度か読まなくてはと思っています。 P248の堀川先生のスタンスに共感を覚えました。「私の理想は、キリスト教のキの字も出さず、神さまのカの字も口にしなくても、私を通してキリストの慈愛がクライアントに注がれ、創造主なる神への思慕が彼らの心の中に生まれる事である。」
酒井さん
コメントありがとうございます。
心の問題を聖書的スタンスでどう取り扱うべきか、私の中でも葛藤が続いています。お祈り下されば幸いです。