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「宣教師としてのキルケゴール」
宣教師としてのキルケゴール⑥
デイビッド・ルー『日本宣教を阻む5つの障壁』によると、日本宣教を阻む5番目の障壁は「見えざる禁制の高札」です。 -
「聖霊の炎を掲げて」Season2
聖霊の炎を掲げて ⑱
日本アッセンブリー教団の前身の中心の教会の一つが1920年にアレックス・モンロー夫妻によって設立された西巣鴨宮仲の大塚教会でした。 -
「宣教師としてのキルケゴール」
宣教師としてのキルケゴール⑤
デイビッド・ルー『日本宣教を阻む5つの障壁』によると、日本宣教を阻む4番目の障壁は「神を離れて完成を求める人間の理想像」です。 -
「聖霊の炎を掲げて」Season2
聖霊の炎を掲げて ⑰
米国インディアナ州インディアナポリスでハワイ生まれの日系人谷本善男と出会ったエステラ・バーナーはハティ・スクーノーバーと共に1910年4月29日に独立ペンテコステ派宣教師として来日します。谷本善男も5ヶ月後の9月に来日します。…エステラ母娘とタキガワ、そして谷本はどのような人たちだったのでしょうか。 -
「宣教師としてのキルケゴール」
宣教師としてのキルケゴール④
デイビッド・ルー『日本宣教を阻む5つの障壁』によると、日本宣教を阻む3番目の障壁は「神道」です。「令和元年版の宗教年鑑によると、神道信者の数は日本総人口の48.1%、仏教徒は46.5%で、1.1%がクリスチャンとなっています。 -
「聖霊の炎を掲げて」Season2
聖霊の炎を掲げて ⑯
1919年11月に単身22歳で来日したジェシー・ウェングラーは、戦時下も日本に留まり、戦前・戦中・戦後を通して39年間日本宣教に従事し、八王子、甲府、市川に教会を立てあげ、1958年7月22日に71歳で人生の馳場を駆け抜けて日本の土となりました。 -
「宣教師としてのキルケゴール」
宣教師としてのキルケゴール③
前稿は、キルケゴール思想が、日本宣教を阻む最初の障壁「私」を克服するために、どのように貢献し得るかを見ました。デイビッド・ルー『日本宣教を阻む5つの障壁』によると、日本宣教を阻む2番目の障壁は「仏教」です。 -
「聖霊の炎を掲げて」Season2
聖霊の炎を掲げて ⑮
日本で最初に設立されたペンテコステ派の児童養護施設(孤児院)は西宮の子供ホーム(Children’s Home)で、メアリー・テーラーの「一銭貯金」から始まり、1922年にメー・ストラウブによって創設され、フローレンス・バイヤスによって継承され、そして100年後の現在でも「社会福祉法人 神愛子供ホーム」として存続しています。 -
「宣教師としてのキルケゴール」
宣教師としてのキルケゴール②
…自分がどんなに強くあろうとも、それ以上に強い一人の敵がおり、それは自分自身である。自分自身の力では克服しえない一人の敵がおり、それは自分自身だということなのである。— キルケゴール『二つの健徳的講話』(1843年) -
「聖霊の炎を掲げて」Season2
聖霊の炎を掲げて ⑭
ノーマン・バースは戦前の日本アッセンブリー教団の前身であった日本聖書教会と米国アッセンブリー教団宣教師団の最後の議長でした。彼が日本で過ごした1928年から1941年の足掛け13年は日本のみならず日本聖書教会にとっても激動の時代でした。
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