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「聖書の息遣い」(信仰エッセイ)
信仰エッセイ「聖書の息遣い」⑫ 最終回
使徒パウロは、ローマの教会に宛てた手紙に、「信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです」(ロマ10:17)と述べています。クリスチャン生活の中枢を示した言葉だと言っても良いでしょう。おこがましい言い分かも知れませんが、「聞く」よりも、「聴く」の方が適切な訳語ではないかと思うのです。 -
「聖書の息遣い」(信仰エッセイ)
信仰エッセイ「聖書の息遣い」⑪
私の義理の兄(妻の兄)は全盲になりました。“なりました”という言い方をしたのには理由があります。事故によってではなく、疾病によるのでもなく、出産の際、彼をとりあげた産婆の人為的なミスによるものでした。洗眼液を間違えたのです -
「聖書の息遣い」(信仰エッセイ)
信仰エッセイ「聖書の息遣い」⑩
何気ない一言が、誰かの救いの切っ掛けになったという証を、よく聞くことがあります。私もその一人です。学生時代、親しくさせていただいたM教授に道端で偶然出合い、「家庭教師の口があるのだが・・・」と声を掛けられたのです。その「偶然」がなかったなら、今日の私は存在しません -
「聖書の息遣い」(信仰エッセイ)
信仰エッセイ「聖書の息遣い」⑨
待降節の週となりました。教会学校の子供たち、中でも女の子は、恒例の降誕劇を前にして、誰が主役のマリアに抜擢されるかと、小さな心臓をドキドキさせる時期でもあります。今回はそのマリアに間接・直接向き合った二人の母親の対照的な姿について一考して見ようと思います。一人は、マリアについて主イエスと言葉を交わす市井(しせい)の母親、もう一人は、受胎告知を受けたマリアの来訪を歓迎する女性エリザベツです。彼女は年老いて懐妊し、4ヶ月ほどで母親になろうとする祭司の妻でした。 -
「聖書の息遣い」(信仰エッセイ)
信仰エッセイ「聖書の息遣い」⑧
少々歪んだ性格でも主に祝福された人物の事例が聖書に記録されています。旧約聖書のヤコブです。兄エサウとは双子でした。兄のかかとをつかんで出生したという、産声を上げる時から曰く付きの人生であったようです。新聖書辞典によるとヤコブという名前は、「かかと」と同じ語源で、しかも「だます」という意味も含まれているそうです。そんなヤコブのことを「穏やかな人」(創25:27)と創世記は評しています。とにかくつかみ所のないヤコブだったようです。 -
「聖書の息遣い」(信仰エッセイ)
信仰エッセイ「聖書の息遣い」⑦
私には、いまだに解答を得ていない疑問があります。それは、最後の晩餐にまつわる記録についてです。晩餐の席上、主イエスは、辞世とも言える天来の真理を、弟子達に連綿と説かれました。その中には、再臨の約束、真理の御霊についての解き明かし、互いに愛し合うことの必要性、弟子達と決別の予告、等々が含まれています。そして晩餐は、大祭司としての愛に満ちた執り成しの祈りで締め括られました。これほど重大な内容について、ヨハネ以外の福音書著者達が一言も触れていないのは何故か、ということです。 -
「聖書の息遣い」(信仰エッセイ)
信仰エッセイ「聖書の息遣い」⑥
「死んでもいいわ。」愛の告白としては、少なからずどきっとさせる一言です。これは二葉亭四迷が、イワン・ツルゲーネフ(1818-1883)の作品『アーシャ(片恋)』に出てくるヒロインの告白、“I love you”をロシヤ語から訳出した表現です。名訳の一つにリストされ、直訳だと明治時代の読者には、はしたなく聞こえるのではないかと、相当苦労して考え抜いた上での訳文だと言われてきました。 -
「聖書の息遣い」(信仰エッセイ)
信仰エッセイ「聖書の息遣い」⑤
昔も今も時の刻みには変わりがない筈ですが、物心がつき始めた頃を思い返すと、当時は、時間がゆっくり流れていたように感じます。はじめて腕時計を手首に巻いた時、急に大人になったような気分になったのを忘れることができません。時報に合わせて竜頭を回し、時間の調整をするのも楽しみの一つでした。 -
「聖書の息遣い」(信仰エッセイ)
信仰エッセイ「聖書の息遣い」④
ちょっと変わった引き算をしてみましょう。「私から肉体をマイナスすると何が残るか」という計算です。幾つかの回答を想定することが出来ます。例えば、「何も残らない」とバッサリ言い切ってしまう人や、「何かが残るかも知れない」と答えに自信を持てない人、「人間の最も本質的なものが残るかも」と少々哲学的な応答をする人、といった具合に、聖書の真理に触れたことの無い人びとにとって、的確な回答にたどり着くのは中々難しいようです。 -
「聖書の息遣い」(信仰エッセイ)
信仰エッセイ「聖書の息遣い」③
私が小さい頃、よく「ごっこ遊び」をしました。空想の世界の中でいろんな人物や動物などに変身して楽しむ遊びです。「ままごと」もその一つです。大人をも巻き込む近頃の複雑なデジタル化したゲームに比べると、たわいのない原始的な遊びでした。5歳だったか6歳だったか、私の得意技は盲腸の手術でした。いやがる友人を無理矢理患者に仕立て、医師のまねごとをしたのを覚えています。
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