2021年4月~2022年3月 各記事毎月1回掲載(全12回)
①「聖書の息遣い」(信仰エッセイ) 北野耕一師
②「日本語になった聖書の言葉」 堀川寛師
③「聖霊の炎を掲げて」Season1 鈴木正和師
④「神学の教養」 長澤牧人師
★「ペンテコステ特集2021」 三宅規之師
-
「神学の教養」
神学の教養(7)
私たちの意識の中では、神はあそこにいて、私たちはここにいます。ここにいる私が、あそこにいる神に祈る、語りかけるという風に意識に表象されます。神を意識するということは、神を対象化するということです。神を意識する私が主体であり、神は意識される客体です。 -
「聖霊の炎を掲げて」Season1
聖霊の炎を掲げて⑦
日本からのカナダへの移民は1870年代に始まり、…1921年にバンクーバー周辺でペンテコステ・リバイバルが起きると、プリンス・ルパートの日本人クリスチャンの中にも聖霊体験をする人たちが与えられるようになります。 -
「日本語になった聖書の言葉」
「日本語になった聖書の言葉」⑦
今日取り上げる「狭き門」という言葉は、その出自が聖書であることが忘れ去られるほど見事に日本語になった言葉と言えます。「『狭き門』は、キリスト教で天国に至ることが困難であることを例えたことば。転じて、入学試験や就職試験など、競争相手が多くて突破するのがむずかしいことのたとえ」だと「故事ことわざ辞典」には説明されています。 -
「聖書の息遣い」(信仰エッセイ)
信仰エッセイ「聖書の息遣い」⑦
私には、いまだに解答を得ていない疑問があります。それは、最後の晩餐にまつわる記録についてです。晩餐の席上、主イエスは、辞世とも言える天来の真理を、弟子達に連綿と説かれました。その中には、再臨の約束、真理の御霊についての解き明かし、互いに愛し合うことの必要性、弟子達と決別の予告、等々が含まれています。そして晩餐は、大祭司としての愛に満ちた執り成しの祈りで締め括られました。これほど重大な内容について、ヨハネ以外の福音書著者達が一言も触れていないのは何故か、ということです。 -
「神学の教養」
神学の教養(6)
人類の意識に神という観念がどう現れたかと言えば、まず有限性を超えたものとして現れました。人間が自分自身の有限性(病む、痛む、死ぬ、誤る、失敗する)を自覚すると、有限性を超えた領域に神を求めました。つまり神は「超有限」であると。有限者が超有限なものを意識するとき宗教的意識が始まります。 -
「聖霊の炎を掲げて」Season1
聖霊の炎を掲げて⑥
韓国アッセンブリー教団の前身である朝鮮五旬節教団の礎を築いたのは五人の外国人婦人宣教師と三人の朝鮮人伝道師だったと言われます。…このうちのメアリー・ラムゼイ、朴聖山、裵富根の三人は朝鮮で活動する前に日本で活動していました。このコラムではこの三人を取り上げます。 -
「日本語になった聖書の言葉」
「日本語になった聖書の言葉」⑥
今まで分からなかったことが急に理解できるようになったとき、「目から鱗」、あるいは「目から鱗が落ちた」と思わず言ってしまいますが、この言葉が聖書に由来していることを知っている人は多くありません。実は私の教会でこの話をしたとき、「それは知りませんでした。目から鱗です!」と、若干間違った使い方をしつつも、はじめて聞いたリアクションをした人がおられました。もちろんご存じの方もおられることでしょうが、今日はこの言葉のルーツについてお話ししましょう。 -
「聖書の息遣い」(信仰エッセイ)
信仰エッセイ「聖書の息遣い」⑥
「死んでもいいわ。」愛の告白としては、少なからずどきっとさせる一言です。これは二葉亭四迷が、イワン・ツルゲーネフ(1818-1883)の作品『アーシャ(片恋)』に出てくるヒロインの告白、“I love you”をロシヤ語から訳出した表現です。名訳の一つにリストされ、直訳だと明治時代の読者には、はしたなく聞こえるのではないかと、相当苦労して考え抜いた上での訳文だと言われてきました。 -
「神学の教養」
神学の教養(5)
パウロがアテネ人に向けた一言、「神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです(使徒の働き17章27節~28節 新改訳)」は、神と人間の関係を見事に表しています。神の中にいるからこそ人は神から離反できるわけだし、離反の代償も大きくなります。 -
「聖霊の炎を掲げて」Season1
聖霊の炎を掲げて⑤
日本の初期ペンテコステ運動を担った人たちの中でもその背景が異色な人の一人が沖千代です。彼女は38歳で伝道者として立ち上がり、戦争中に空襲で教会堂を消失しますが敗戦後63歳で再起し、1949年3月の日本アッセンブリー教団創立総会に創立メンバーとして参加します。